我家のバジル、昨晩家に帰ってから摘芯し、ちぎった先端部を夕食のパスタに乗せて食べました。特別に美味しい訳でもなく、いい香りがする葉っぱというだけでしたが、取り敢えず収穫の喜びを感じることができました。
これから脇芽がどんどんと延びて、バジルが生い茂っていくのです。とは言っても消費する方はそれ程に食するアイデアもなく、さて、どうしたものでしょう。もっぱらベビーリーフみたいに、サラダの野菜に混じってもらうことになりそうですけどね。ちなみに、私はジェノベーゼソースはキライ。
さて、しきりに各所で「定年後のシニアには辛い仕事の求人しかない」といった記事や、動画が溢れています。然るに世の中に「そういうものだ」という常識が定まっていきます。まぁ、これはあながち「間違い」ではないんですけどね。少し痛い目にあってきたワタシが言うのだから、本当です。
そうすると、普通の人、心配性の人はこんなことを考えるハズです。定年後は働かずに悠々自適に暮らす > 十分な貯えを備え、加えて継続的な不労所得を得る(配当など) > お金のことを勉強して、貯蓄・投資・運用を若い頃から始める。これ、希望ではなく恐怖に焚きつけられた行動ですから、みんな必死です。
こんなこと、ついこの前まで、私なんぞはまったく考えずに生きてましたからね。貯蓄はともかく、「投資」「運用」なんて、素人が踏み込んではいけない魔境みたいなもので、積極的に避けて通っていたぐらいです。だから、ずっと会社経由で拠出してきたiDeCoだって、全額を貯蓄にしていて、周囲の人も結構、そういう人が多かった様に思います。
それで、今の50歳過ぎ以降の人たちで、こういう「老後を苦しまないで過ごすための作戦」を取るには「手遅れ」の人たちは次善の策として、「65歳までは給料が下がっても、待遇が変わっても、元の職場にしがみつく」を取ることになります。いわゆる「再雇用」です。
よく、その状況を嘆く人の記事などが出ていますが、いわゆる「シニア向けの辛い仕事」に比べたら、まったくの天国みたいなものであることを知っておかねばなりません。「外の世界」というのはキツイのです。けれど、不要な苦労はしないに限りので、愚痴をこぼしながらも頑張るしかありません。
それで、65歳になれば、勤め先との再雇用の契約も終了し、大抵の人はそこで自らの労働人生も幕を下ろすことになります。そのときには年金も満額受給できますしね。勿論、年金だけでは生きていけないよという人たちは、そこからも働かねばなりません。
そこに広がっているのは「定年後」どころではなく、「老後」の仕事ばかりということになります。基本的には「キツイ」「ヤスイ」「ツカイステ」の仕事。そして、それは身体が動かなくなるまで続けねばなりません。それはとても「ツライ」ことなのです。
こういうことが起きていることを国が何とかせよとか、自己責任だから仕方がないよとか、私は何ら意見を持つものではありません。けれど、今後は「こういうことが起きる社会の仕組み」については、きちんと若い世代に説明する必要がある様に思うのです。
できれば、高校生くらいの段階から。仕事を選ぶ、生き方を選ぶ。そこには無限の選択肢があって、これから先「なれないものは無い」ことを知っておいてもらう。加えて、夢も希望もない現実の「仕組み」も理解しておいてもらう。大事だと思うんですけどね。
ちなみに私が老後のこととか、年金のことを初めてまともに考えたのは、55歳を過ぎた頃に会社が開いてくれた「ライフプランセミナー」みたいな場でしたからね。いくら何でも遅すぎだよ。
私も幾つまで働くは分かりませんが、それが「自分で選んだもの」「喜びを感じることができるもの」であることを祈るばかりです。
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近所のお宅にいた和猫をここ1ヶ月程も見掛けることがなく、てっきり虹の橋を渡ったに違いないとカミさんと話していたのです。東日本大震災(2011年)には既にいたので、少なくとも14歳以上ということになります。この子のお宅では猫ちゃんを自由に家の外に出しているので、始終我家の庭にもやってきては、家の子と何やら話をしていて、家の子の唯一の「猫友達」だったのです。
それが、今朝、我家の門の前をスタスタと歩いていたのです。「おっ、生きてたか、久し振りだね」と呼びかけましたが、こちらには気付かぬ素振りで歩み去っていきました。よかった。顔なじみがいなくなると淋しいですからね。また、我家の庭まで遊びに来てね。