本でも、音楽でも、訪問先でも、適度にスカスカのものに癒されることが多くなった様な気がします。一応、輪郭程度のものはあって、それが心の中に余韻を残して響いている。けれど、何か考えるときに邪魔にはならない。ただ、脱力するのに丁度よいというだけですけどね。

昔はあって、今の生活にないもの、その際たるものが「密」です。コロナ禍において、しばしば登場して、忌み嫌われたあの「密」です。行列、渋滞、混雑… 社会的にも「オフピーク」が進められているだけでなく、私自身も非常に熱心に「密」を避けているのです。これは今更に「コロナ」が怖い訳ではなくて。

たまにスーパーのレジや、銀行のATMで「行列」に組み込まれてしまうことがありますが、その程度でもうんざりしてしまいます。昔はどうやって、「密」をやり過ごしていたんだろう。満員電車の中、ひたすら目を閉じて仮死状態だったのかな。思い出せません。

今はスマホという「密」無効化ツールがあるので、何とか自分の関心がある世界に逃げ込むことができますが、最近の私ときたら「スマホ」を何十分も眺めると目がチラチラする様になってきたのです。だから、「密」には極力近付かない様にしているのです。

別に待たされることがイヤなのではなくて、見知らぬ人と余りに近い距離に長時間一緒にいることが苦手なのです。私に限った話ではなく誰でもがそうですが。よく知られた「パーソナルスペース」に関する調査というのがあって、特に個人的なつながりがない人とストレスなく接近できる距離(社会距離)というのは120cm~360cmなのだそうです。

確かに、これくらいの距離で離れていないと緊張しちゃいますよね。特に長時間、こんな状態が続くと。退職を機会に、せっかく生き方を変えて暮らしているのですから、うっかり不愉快の落とし穴に堕ちない様にしなければ。

それで、イヤな思いをするたびに少しずつ「学ぶ」様にしているのです。行ってはいけない場所と時間です。待合室が狭い医院には行かない、給料日の銀行には行かない、人気の飲食店のランチには行かない、夕方のスーパーには行かない、人間ドックは朝一の予約しかとらない… みんな、そうしているハズなのになかなかに「密」は解消されないんですよね。みんながそうしているから「密」もまた移動しているのかな。

とは言っても、少し長い目で見ると、これから先、更に電子化による社会のスマート化が進んで「密」がなくなるか、もしくは少子高齢化で表を出歩く人が減って「密」がなくなるか、いずれにせよ、「密の自然減」が起こる様にも思うのです。その頃(2040年頃?)は街の景色も一変しているんでしょうね。人なんか余り歩いていなくて、自動運転の宅配車両が無言で動き回っている。私的には適度にスカスカしていて、いい感じの未来ですけれど。


今日で令和4年度もお終いです。今の勤め先も3月決算なので、まだ、何となくそんな空気感を味わっています。年度末、いろんな会社で「締め」の行事なんかしてるんでしょうね。沢山の缶ビールと乾きものがフロアのテーブルやデスクの上に並べられたりして。「密」になっちゃうから、今はやらないのかな。

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