よほどのサイコパス(良心をもたない人)でない限り、人には報恩性があります。人に何かをしてもらったり、何かをモノをもらったりすると自然に湧いてくる「お返しをしたい」という性質です。

人間というのはちゃっかりしていて、普通は「本人が感じた恩」に見合った「お返し」をしたいと思うものです。喫茶店でコーヒーをご馳走してもらって、高額なものをお返しすることはありません。まぁ、ご馳走してくれた相手にもよりますが。普通はその場できちんとした「ありがとう」と伝えれば、十分なお返しです。

報恩性の逆、「してあげた」ことにお礼をしてもらえないと人間は不満を覚えます。「オレ、そんなことないよ」などという心の広い、気持ちのよい人もいますが、それでも心に「澱」(おり)は残ります。この澱には「誰に」という属性がついているので、いつか、何かの拍子にそれが零れ落ちます。「あいつ、何をしてやっても、いっつも『ありがとう』の一言もないんだよ」というよく聞くアレです。お返しを求めるくらいならば、最初から相手に何かをしてあげなければいいのに、というのがこのグチへの解決法なのですが、「何かをしてあげたい」というのも、人間の尊い性質の一つなので、みんな、そんなに孤独で淋しい人にはなれないのです。困ったものです。でも、しょうがないですよね。人間だもの(あいだみつを)。子を思う親だけが、この感情の例外なのかも知れません。親は偉大で、有難いですね。

この報恩性、悪だくみに使うのであれば、かなりの効果的なツールです。布団などの(悪徳な)販売業者が、身寄りのないお年寄りなどを誘い、観劇に連れて行ったり、ご飯を食べさせたり、親切に話を聞いてあげたりします。そんなことをしてもらったら、「良い人であればあるほど」に何かを返さなければいけないと思ってしまいます。TVなどで高額商品販売の詐欺ニュースが流れると「よくこんなもの買うよね、バカだね」などと誰もが軽口を叩きますが、本当は人の美しい心につけ込んだ痛ましい話なのです。ビジネスの世界、政治の世界で行われる接待も「報恩性」を期待した行為ですが、最近は企業倫理の観点+コロナ禍での会食自粛の動きから、少なくなっているものと思います。まぁ、今でもどこぞの企業と官僚のXXが会食をしたといったニュースが尽きることはありませんが。「善良な人々」の報恩性につけ入り、自分の利益に誘導することは、例え社会的な罪に問われなくても、おてんとうさまの下では立派な「罪」です。

報恩性の外側にいるサイコパス(良心をもたない人)に関して、少し書きます。私は医師でも、研究者でもないので、「サイコパス」に関する正しい知識は、各所でご確認下さいね。私はサイコパスに関する本をこれまで3冊程よみましたが、何だか気持ちが悪くなっていまい、それ以上覗き込むことは止めてしまいました。サイコパスはどこにでもいます。しかも、人口の5%がサイコパス的な気性を持つとのことなので、20人の組織であれば、その中に一人はサイコパスがいることになります。ねっ、思い当たるでしょ。困るのはサイコパスの人たちはパッと見たところ魅力的な人が多く、企業や団体で「エラく」なっていることも多いのです。更に困るのはサイコパスは自分ではそのことに一生気が付かないことです。サイコパスは病気ではないので直りません。もう、ホラーです。肝心なことは、そんなサイコパスに出会ってしまったら、どうするかということです。答えはただ一つ「逃げる」です。相手は「変わらない」ので、どうしようもないですよね。これも何かの「契機」と思い、神さまの思し召しに従うのみです。「逃げるは恥だが役に立つ」というハンガリーの諺は正しいのです。ガッキーも正しいのです。

このエントリでは、私はただただ、このblogに来て下さった方に感謝をお伝えしたかったのです。皆さんが貴重な時間を使って下さったこと、本当にありがとうございます。これからもよろしければ、ここを覗いてみて下さい。よい週末を!

小さなお返しにJim Croceの素晴らしい自己肯定の名曲をご紹介します。

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