昨日、ホームベーカリーで始めてパンを焼きました。結果、大失敗しました。最近、カミさんが「小麦粉は体に悪いので、ウチはこれから米粉にする」という方針を打ち出し、いざ、パンを焼こうと思ったら、我家には小麦粉が無かったのです。
それでも、機械に「米粉」というメニューがあったので、米粉を使って、TRYしてみました。開始というスイッチを押して約2時間半後、出来上がったものは「パン」と「お餅」の中間の様な、とても食べられる代物ではありませんでした。
何が悪かったのでしょう。ネットで調べたところ、驚愕の事実を知ることになります。米粉でパンを焼くには、「パン用」というものを使わなければならなかったのです。とほほほ。でも、1回の失敗でそのことに気付いて幸運でした。危なく何度も同じ失敗を繰り返すところでした。
さて、16時を過ぎれば、午後もだんだんにチカラを失って、短い夕暮れの時間を経て、夜へと向かいます。この「短い夕暮れの時間」というのは、実によいものです。特に夏がスバラシイ。
終末に、車で買い物に行くスーパーがあります。ここは外国の店舗の様に、広大な平屋の建物で、買物をしていても実に気持ちがよいのです。カートをガラガラと押しながら、いろんなものを買物カゴに放り込んでいきます。誰が調べたか分かりませんが、オヤジはショッピングカートが大好きなのだそうです。思えば、店内でカートを押しているのはオヤジばかりです。
このお店の2階というか、屋上は広大な駐車スペースになっていて、満車になっていることも滅多になく、ストレスなく車を停めることができるのです。屋根はないので、雨が降っているときは、それなりに大変な目にあったりしますが、そうでないときには「大きな空」と「今、このとき」を味わうことができます。
田舎の立地なので、駐車場から周囲を見回しても、近くには視界に入ってくる建物はありません。私はいつも、この場所で深呼吸をして、広い空をしばらく眺めるのです。普段は理由もなく空を見上げるなんてこと、しませんからね。特に夏の夕暮れ時は、少し涼しい風がふいて、雲に光があたり赤く色づいて、ずーっとここで空を見上げていたい気持ちになります。
そして、「今、このとき」を思うのです。これまでの自分がいて、これからの自分がいる。明日は月曜日なので、いつもと同じ様に仕事に行って、忙しく働いて、夜には家に帰ってくる。これを何度も繰り替えすと週末が来て、また、買物をしに、この場所にやってくる。「今、このとき」が連なる時の一部であることを思い、とても幸せな気持ちになるのです。どこにでも、幸せは転がっているものですね。
生鮮品も幾つか買ったので、モタモタしてはいられません。「今、このとき」は、早くも過去へ過去へと流されていき、私が運転する車は家と向かいます。
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それで、ホームベーカリーで出来上がった「失敗作」ですが、トースターで焼いてみたり、ジャムだの味噌だのいろんなものを付けてみたりしたのですが、どうしても食べることができません。「ごめんよ」と言って、捨ててしまいました。次回こそはおいしい「米粉パン」を作ってやるぜ。