台風が来て、どんよりとした暑い空気を全部連れていってしまったのか、今日(9/6)の午前中はとても爽やかな空気が家の周囲に流れていました。本来、9月ともなれば「こんな感じ」なんですよね。でも、午後はもうダメで、またサウナ状態に逆戻り。夕方には気持ちのよい風が吹いたので許してあげる。
それで、今日は愛猫を病院に連れていきました。どこか具合が悪い訳ではなく、体の数ヶ所にできてしまった「毛玉」を先生に取ってもらうのです。これ、長毛の猫ちゃんの宿命みたいなもので、飼い主が始終ブラッシングをしていないと、自分でペロペロと舐めて毛づくろいした部分の毛が複雑に絡み合って、何ものであってもほぐせない「毛玉」になってしまうのです。
そのまま放置しておくと、この毛玉が幾つもできてしまい、本人も気持ちが悪いだろうし、見た目も悪い(ゴメン)のです。病院では先生が可能な限り毛玉をほぐしてくれるのですが、それでも何ともならないものについては、ハサミで皮膚を傷つけない様にしながら、ジョキジョキと切り取ってしまいます。こんな悲惨なことにならない様にするのが飼い主の役割なんですけどね、ごめんよ。
「思えばあのときは辛かったなぁ」などと負の感情が蘇ってくる様な場所に、ふらふらと行ってみたいと思うときがあります。そこで、一体、今の自分はどんなことを思うのかと興味があるのです。
早期退職をした後に再就職をした会社があるのですが、仕事内容も自分に向いていたとは言い難く、職場の人たちも、それまで私が「知っていた人たち」とはまったく違っていて、とにかく「やり辛いなぁ」と思っていたのです。
その職場では昼食、場合によっては夕食をそれぞれがバラバラの時間に行くことになっていて、その時間は「息抜き」ができる貴重な時間である一方で、その後に続く仕事を考えるに何とも味気ないものだったのです。思えば人生の中で最も不幸な食事でした。
今の職場でも基本はバラバラに行くのですが、とにかく短時間で食事を済まさないと、その日予定する仕事が終わらないので、お弁当でも、立ちそばでも、コンビニのおかずパンでもガツガツとお腹に詰め込みます。けれど、それが少しも不幸ではありません。食事の価値は、そのときの気分で決まるんですよね。
その「不幸な食事」の中でも、何故か鮮明に記憶に残っているのが、職場の近くにあった「町中華」で何度か食べたタンメンなのです。タンメン自体は不味くはなかったし、お店のサービスも行き届いていたし、何一つ文句はありません。問題は食べるワタシが不幸だっただけなんですけどね。
それで、いつか、その店でタンメンを食べてみたいと思うのです。昼でも夜でも構いません。タンメンを注文して、その頃は仕事中で飲めなかったビールも頼んで、お腹が空いていれば、更にギョウザも頼みます。それで、ゆっくりと食事を味わってみる。そのとき、ワタシは何を思うのでしょうね。
まったく予想も付かないし、敢て予想もしたくはありません。何の予見もなくその場に臨み、そのときに心に浮かんでくる感情を楽しんでみたいと思うのです。何だかドキドキしたりします。
けれど、本当はそこには二度と行くことはないのです。そんな暇もありませんからね。
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いつの間にかスーパーで「とうもろこし」が姿を消していました。また、来年会いましょう。キミたち、年々美味しくなっていて、オジイサンは毎日でも食べたいくらいだったよ。楽しませてくれて、ありがとうね。