昨日(8/15)はお墓参りに行ってきました。本来はお盆の中日なので、仏様は家に帰ってきており、お墓に行っても「そこにはいません」という状態で、お墓参りには「?」なのだそうです。それ故に、墓地にも人がほとんどおらず、セミの声が聞こえる中、ゆっくりとお墓の掃除をして、花を供え、お線香をあげることができました。

以前にも書いたことなのですが、お墓、どんどん「隙間」だらけになっています。昨日も父母のお墓がある区域に入った瞬間に「ええーっ」となってしまいました。全体として10%程度が空地になっており、そこにはお墓の痕跡もなく、そこに生えた草が風になびいているばかりでした。

世間で言われている「墓じまい」、どんどんと加速している様子です。これから5年、10年と経つ間に、広い墓地にお墓がポツン、ポツンと散在するなんてことになりそうです。私、お墓参り、大好きなんですけどね。墓じまいをした後も遺骨を納めた場所には、結局「お墓参り」をすることになるのかな?

ついに夏休みも今日を入れて、残り2日となってしまいました。実際には、既に夏休みは昨日で終わっているので、今日はただの週末です。そう考えると「どーん」と暗くなるので、まだ、夏休みの尻尾にいると思い込むことにしました。

今年も夏休みはどこにも旅行にもいかず、家でのんびりと過ごしていました。愛猫が我家にやってきて以来、9年間ずっと。正確には、2年目の夏休みにペット可のホテルに愛猫を連れて泊りに行ったのですが、とにかく一晩中「帰りたいよ」と部屋の中をうろうろと歩き回って、悲し気な声で鳴き続けられてしまい、それ以来、二度と旅行には愛猫を連れていかないことになったのです。というか、我家は旅行に行くことをやめたのです。

この話を他人に話すと「ペットホテルに預ればいいんじゃない?」などと言われるのですが、一日中家の中を自由気ままに歩き回っている子を小さなゲージに入れておくなんて、そんなことは到底できません。それに、猫と朝から晩までずっと一緒にいるというのは、とても癒されるものなのです。何かをしてくれる訳ではないけれど、近くにいて、起きたり寝たりしている「存在」を感じるだけで、幸せな気持ちになります。

それで、今年の夏休み、「いつか使うかも」「いつか着るかも」「いつか…」を思い切って処分してしまいました。TVに接続してあった「ゲーム機」「Blu-Ray レコーダー」の結線を外し、機器を取り敢えずは使っていない部屋のクローゼットの中に移動しました。「捨てる」までは思い切れなかったのですが、先ずは視界からは消してしまいました。

「いつか読む」として棚に収まっていた本やCDも、ほぼすべて買い取り業者に送ってしまいました。今使っていないものは、これからも「使わない」という当たり前のことにようやく気付いた訳です。それで、結果として、とても「スッキリ」したのです。

モノが無くなって視界良好になったことによる「スッキリ」と、モノが使われずにそのままになっていることによる罪悪感が無くなった「スッキリ」、この二つの「スッキリ」をこの夏休みは幾つも積み重ねたのです。夏休みも残り僅かですが、何だか「いい仕事をした」感が漲っていて、満足しているのです。

これ、本来的な教訓はどこにあるかと言えば、「とにかく買わない」に尽きるんですけどね。節約、倹約の面だけでなく、不要なもので家中がいっぱいにならない様にするために、それが如何に大事なことかを改めて思い知らされました。

「本当に毎日使うよね」「他に代替するモノがあるんじゃない?」「図書館で借りられない?」「ようつべで観たり、聴いたりできない?」「それが無いと死んじゃう?」どんなに安いモノであっても、買うときにはそのくらいの決意でこれからは臨むのです。その割には、夏休み中もずんずんとAmazonでポチっていたけどね。まぁ、PCの内蔵部品で、外からは見えないから、ギリギリセーフということで。アウトだヨ。

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夏休みにやることリストの最後に残ったのが「お風呂の徹底掃除」です。高圧洗浄機を使って、床面や壁についたしぶとい「汚れ」「カビ?」をシャーっと洗い流してしまうのです。これ、楽しいんですけど、うっかりすると浴室を水浸しにしちゃうんですよね。急ぐ仕事でもないし、タラタラとやりますか。

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