いよいよGWの前半戦も終わりました。28日は有給休暇をとったので4連休、庭の草むしりもある程度できたし、部屋の片付けにも着手できたので、70点くらいの満足度です。最近は「ここまでやる」ではなく、「この時間までやる」主義で作業をしています。これ、気分的に楽なんですよ。大して作業がはかどらなくても、「きちんと2時間やり遂げたゾ」なんて達成感も得られるし。
今、「貧困と脳」(鈴木大介さん)という本を読んでいます。どこかの書評で「面白い」と評価が高かったので、図書館で借りて来たのです。というか、借りようとしたら「20人」もの予約待ちができていて、その行列に並んで、ようやく読むことができたのです。
まだ半分くらいまでしか読み終えていませんが、いろいろと考えさせれることが多くて、じっくりと読んでいるのです。内容を思いっきり短縮して書くならば「貧困状態の人たちが基本的な社会活動(約束を守る、遅刻しない、やるべきことをやる等)をすることができないのは、脳に障害があるからだ」というものです。
つまり、「やる気がない」「だらしない」のではなく、本人は懸命に他の人たちと同様のことをしたいのにそれが「できない」のです。「貧困」の現状を何冊も本にしてきた著者自身が「脳の障害」を持つことになって、初めてこのことに気付き、そこから改めて、過去に接した人たちのことを見つめ直します。
「やらない」のではなく「できない」、しかもそれが能力、スキルの不足に起因するものではなく、「障害」によるものだったというのは、これまで「貧困」を論じてきた人たちが知り得なかった事実であり、それであれば、これまでの「精神論」的で、「自己責任」的な分析、推察というのはまったくの的外れのものとなります。社会が「貧困」という課題に対して、新たな解決のアプローチが必要なのです。
それで、私が「うーん」と唸ってしまったのは、こういう大きな社会課題の解決に関する思いからではなく、自分もまた過去に「やらない」人をきつく叱責してきたことを思い返したからなのです。そういう人たちが「貧困」であったり、何らかの障害を持っていた訳ではありませんが、その人たちも何らかの理由があって「できなかった」のではないか。
それであれば、そのときに最も適切だったのは叱責することではなく、その原因を一緒に考え、話に耳を傾けることだったのでないか。何度も何度も「うーん」と唸ってしまいます。
それに、自分もまた(気付かないだけで)「できない」ことが沢山あって、恐らくこれから老いるに従って、更に「できない」がどんどん増えていく。それをどう自覚し、どう社会に参加していくのか。そして、何よりも「どう家族と自分の生活」を守っていくのか。
「できない」を精神論や自己責任論で片付けたり、自分を追い詰めたりせずにどう向き合っていくのかを自分ゴトとして、キチンと考える必要がありそうです。誰だって、サボったり、人を裏切ったり、そんなことを望んでしたりはしないのですから。
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明日(4/30)からGWの中休み?で出勤です。通勤電車、空いてるかなぁ。