そろそろヤバイかも知れません。先日、スマホ(Android)のロック解除をしようと、設定してあったパターンを画面上でなぞったのですが、「間違っています」として再度のTRYを促されました。こういうのって、既に無意識の中に織り込まれているみたいなところがあって、どこにもメモなどしていないのです。
それに、そもそも、ついさっきまで、間違えずに行えていたことが、突然にできなくなるとは… これ、何回か繰り返していると、連続してTRYができなくなって、失敗する度に「30秒後にまたやってね」といったことになるのです。それ、結局20回(10分以上)程も試みた後に、ようやく解除できたのです。
それで、安心していたら、次にまた解除するときに失敗してしまったのです。さすがに今度は数回のTRYで何とかなりましたが、もう自分を信じる訳にもいかず、定期入れの中にパターンを書いたメモを入れておくことにしました。
こういう「日常的に使っているものの記憶」が失われるというのは、何か脳に障害があるのかと疑ってしまいました。心配なのでググったら「脳疲労」らしいことが分かりました。要は少し「休みなさい」ということみたいです。そうか、脳はそんなシグナルを出していたのね。
さて、何か「これが一番大事」みたいなものを心の中に掲げていることは、とても大切なことだなと最近改めて思っています。別に「生きがい」とか「目的」とか「使命」とか、そういう面倒なものでなくてもいいんです。というか、そういう気持ち悪いものは、私は敢えて捨てることにしています。そういうのがあるから、余計なイザコザを起こすんですよ。いい年をした老人が。
それで何故「これが一番大事」が大切かと言うと、自分に降りかかってくる厄災から身を守るためです。とにかく、どこにいても、何をしていても、何もしていなくても、誰といても、一人でいても、次から次へと厄災が天からハラハラと落ちてきます。
大きなものから小さなものまで、どこかのCMで聞いたフレーズですが、とにかく降り続くのです。満員電車で隣りに立つ人のイヤホンから激しく音漏れがする、ランチの定食の小鉢が絶望的に不味い、コピーをとるとジャムる、何でもかんでも「お願いしますね」と仕事が投下される… 思えば、毎日は厄災の連続でできているとしか思えません。
そんなときに、いちいちそんなものに正面から対峙していては、身も心も持たないのです。だから、「しょうがねぇなぁ、オレにはこんなに大事にしてる素晴らしいものがあるんだから、それに免じて、許してやるよ」と脱力することが、平穏な日々を過ごすためにはとても大切な訳です。
だって、バカバカしいじゃないですか、せっかくそんな「素晴らしいモノ」が頭の中にあるというのに、下らない厄災に心を奪われてしまうなんて。だから脱力。脱力するためにも「これが一番大事」は欠かせないものなのです
それで、私の「これが一番大事」は勿論、家族な訳です。勿論、愛猫も家族の一員です。「猫がいればそれだけで」なんてタイトルの本が、我家の本棚にありますが、正にそのとおりです。とにかく、厄災が絶え間なく天から降って来るのは、誰にも止めようがありません。だったら、傘をさす。そういうことですかね。
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会社でもらってきた新しいカレンダーを、薄っぺらくなった今年のカレンダーの下?次?に掛けました。そろそろ年賀状のことも考えなければなりません。明日はもう、12月なんですね。