気心を通じるものとの間では、小さな約束、決まりごとみたいなものがあります。どこの家にでも、必ず「我家のルール」がある様に。

言葉を持たない愛猫との間でも、この決まりごとは沢山あって、それをお互いが何気なく果たすことで安心やら、信頼が醸成され、保たれていきます。だから、どんなに眠くても、真夜中であっても、表でチュンチュン鳥が鳴き始めた頃であっても、「窓の外が見たいんですけど」と小さく鳴かれてたら、窓を開けるのです。ただ、甘やかしているだけですかね。

それで、こういう大切な存在のものを失ってしまうとひどい喪失感にとらわれてしまいます。それは、存在そのものだけでなく、あの取るに足らない、けれど大切な決まりごとや、小さな約束も失ってしまうからです。そのときは気付かずにいても、何ものにも代え難い善きものを。

もう、何もかもが「このまま」であればいいのにと、思ったりします。10年も、50年も、100年も、5,000年も、3億年も、何百光年も。けれど、それであっても、必ず「最後」のときは来るのでしょう。水曜日の真夜中に、窓の外の暗闇を愛猫と並んで眺めていたら、そんなことを思いました。

さて、明日は今週も後半に突入です。木曜は燃えるゴミの日です。忘れずに出さなきゃね。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。