「まったく気掛かりなことのない日々」なんてものがやって来ることがあるのでしょうか。他人から見れば、大した悩みでも困りごとでもないかも知れませんが、途切れる間もなく次から次へと「こいつ」がやってきます。無意識に「気掛かりなこと」を探しているのかも知れません。みんなそうですよね。

私は気分転換、気分の切り替えが得意ではありません。何か気掛かりなことがあると、それが生活全体に影を落としてしまい、すべてのことが「どんより」としてしまいます。自分で何とかするのが基本ですが、極まれに「あれ、もう大丈夫だから」なんてことになって、いきなり気掛かりなことが霧散してしまうことがあります。神さまを信じる瞬間です。

たまにしか行かない仕事ですが、業務をスムーズにこなすのに必要な知識があって、これが私には不足しているのです。言い訳をすれば「未経験の仕事」なのですから。現場では年下の上司や仲間から「徐々に覚えて下さい」と優しい言葉を掛けてもらえるのですが、「知識が不足している」というのは自分が何とかしないと解決できない「気掛かり」です。

現場でじっくりと調べるなんてことはできませんので、家にいるときに自発的に勉強をしています。エライ!のではなく、不安であり、気掛かりなのです。それでも最初の頃は、「退職後の仕事のことは何があっても家では考えない」なんて言っていたのですが、しょうがありません。必要な知識を得て、自信が持てれば、取り敢えずは現在の「気掛かり優先度No.1」が解決するのです。すぐに次の「気掛かり優先度No.1」が登場しそうですけれど。

「積み上げてきたもの」というのは本当に凄いことで、私の様にうっかり早期退職後に未経験の仕事を始めるとこんなこと(知識と経験の壁にぶち当たる)になるのです。見通しの甘さを呪うばかりです。別の見方をすれば、経験豊富な中高年の社員は企業にとって「お荷物」などではなく、大変な財産と言えます。そんな「財産」に、雇用延長ともなれば「格安」で働いてもらうことができるのです。こんな旨い話はありません。

人材の流動化、社員の若返りなどと言わずに、長年会社に勤めてくれた社員を如何に定年後も戦力化するか、これを経営手法として確立できた企業がこれからは躍進する様に私は思います。けれど、問題は企業の側ではなく、雇用される中高年の心の「耐久期間」にあるのかも知れません。ハードウェアの方は70歳くらいまで大丈夫そうですが、どうにも心は「やさぐれて」しまう感じがします。

一人前になるには時間を要することを語るときに「桃栗三年柿八年」と言います。実はこれには様々な「続き」のバージョンがあるのだそうです。『桃栗三年柿八年 梅は酸い酸い十三年 梨はゆるゆる十五年 柚子の大馬鹿十八年 みかんのマヌケは二十年』といった果物シリーズや、『桃栗三年柿八年 女房の不作は六十年 亭主の不作はこれまた一生』なんていうフザケたものまで。有用な?新しい知識を得ました。
一朝一夕で知識不足という「気掛かり」が解消する訳もなく、しばらくの間は、自分の毎日を「楽にするため」に少しばかり勉強をすることにします。今はネットで何でも調べることができますしね。「ググレカス」(ggrks)なんてことにならないようにしなくては。

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