最近知ったのですが、各所で年寄りに必要なのは「きょういく」と「きょうよう」だなんて言われている様子です。「きょういく」とは「きょう行く」ところで、「きょうよう」とは「きょうやる用事」があることなのだそうです。上手いことをいうものですね。

その両方を満たして、かつお金まで貰えてしまうのが「仕事」なのですから、やはり年をとっても「働く」というのは大事なことです。結構、そのあたりは「無職」になって、思い知らされました。遊んでいるのもいいのですが、さすがに少し時間を持て余してきました。

総務省2022年(令和4年)「労働力調査」によると、60~64歳で働く割合は全体で73.0%(男性83.9%・女性 62.7%)、65~69歳でみると全体で50.8%(男性61.0%・女性41.3%)、70歳代前半になれば、全体で33.5%(男性41.8%・女性26.1%)だそうです。

すると61歳で現在無職の私は、同世代の男性の中の少数派(僅か16%)ということになります。まぁ、しばらくしたら、再度働き始めて、その後は70歳+αくらいまでは働くつもりですけどね。その頃は、お仲間もこの調査データ以上に増えていることでしょう。70歳でまだ全体の50%以上が働いているかも知れません。

お金のため?健康のため?生きがいのため? いずれにせよ、これからの時代、75歳くらいまでは働くことを考えた「次のプラン」が必要になりそうです。どこかで「未経験」を脱しないと、どんどん選べる仕事が限定されていきます。60歳からのキャリア形成か、先は長いな。

さて、話を戻すと、「きょういく」は、自分で決めるのではなく、誰かに誘われるとか、大事なイベントがあって、「仕方なく行く」みたいなシチュエーションがうれしいわけです。例えば、同窓会に行く、お彼岸だからお墓参りに行かなくちゃ、みたいなことです。

「きょうよう」についても同じことで、誰かに頼まれるとか、何かのルールや義務に基いてしないといけないとか、そういう「やりたくないけど、仕方ねぇなぁ」といった用事が何だか「位が高い」様に思えたりします。車の免許を書き換えに行くとか、確定申告をするとか、ハロワの認定日にハンコを貰うとか。「きょういく」も「きょうよう」も、繊細な老人心を満たすにはそれなりに難しいものです。

とは言っても、こんなものは普通に暮らしているかぎり、滅多に起きるものではありませんから、やはり、自分が行く場所や、やることは自分で決める、見つけることが必要になります。何か、自分で時間や手間を掛けて成し遂げる、突き詰めるみたいなものがあって、その実現のために「行くところ」や「やること」が自ずから定まってくるというのが美しい姿です。

そういった「一途に賭けるもの」があればいいですが、そうでもなければ、やはり「仕事に逃げ込む」のがよさそうです。いくつになっても。


生まれて初めて、使っていたマウスが壊れました。クリックした際の反応がすこぶる悪くて、ここしばらくずっとストレスだったのです。今まで、「汚れたから」とか「持った感じが気にいらないから」とか、そんな理由で交換をしてきたのです。

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