ときおり愛猫のおーちゃん(メインクーン)の「おやつ」や「おもちゃ」を買っていたペットショップが閉店していました。3km程離れたスーパーマーケットで買物をした帰りの車中からお店に目をやると、お店の正面全体が板に覆われていたのです。えっ?と思い、帰宅後にショップのWEBサイトを見てみると、既に3ヶ月も前に閉店をしていたことが分かりました。夏頃からスーパーに行く際のコースを変えていたこともあり、まったく気付きませんでした。それにここしばらくは、「おーちゃんの買物」はネットで行っていたのです。何だか寂しくなりました。お店の名前は何度か変えてリニューアルをしていましたが、45年間も続いたお店でした。

コロナ禍の影響、ネット通販の拡大、生活習慣の変化、環境問題への意識の高まり…などなど、互いに因果がもつれ合っていますが、ここ数年で普段の生活においても「社会の変化」が顕在化してきた様に思います。弱いもの、小さいものから、変化の波に飲み込まれていきます。まるで、震災の後の津波の映像の様に。 

私が暮らす東京郊外にある小さな街でも、去年の暮れからこれまでの間に、50年以上は続いていた店が堰を切った様に何軒も閉店/廃業したのです。薄暗い店舗で子供たちが欲しいプラモデルを探していた「おもちゃ屋」さんが閉店してしまいました。閉店して何か月も経つのに、まだテナント募集の看板が出ています。長い間子供たちが小銭を握りしめて買物に行った「文具店」も閉店してしまい、今はハンバーガーチェーンのお店になりました。普通に暮らす人たちが普通に着るものを売っていた「洋品店」も閉店し、立ち食いそばチェーンのお店になりました。洋書専門の書店も、私が初めて自転車を買ってもらった自転車屋さんも無くなってしまいました。

社会変化などという仰々しいものが理由ではなく、単に後継者不足が重なっただけなのかも知れません。世代交代は常に行われていて、店舗だけでなく住宅地でも昔からの家屋が取り壊され、空地になり、新しい家が建てられている風景は日常です。

思えば、閉店/廃業した店の多くには、ここ5年程の間、私は買物に行くことがなかったのです。そして、ペットショップ同様に閉店してから、随分経った頃に「あの店、無くなったよね」と気付いたのです。勝手に私の中で「いつもそこにある街の一部」であったものが、いつの間にかポカンと空白になってしまいました。それも何軒も立て続けに。それは寂しいというよりも、怖いことなのです。

総務省統計局によると2016年の日本の小売店(個人)は約39万店で、その2年前の調査から約2.5万店が減少しています。この調査から5年が経ち、今は更に個人店は減っていることでしょう。日本は他国に比べて、従業員10人未満の小規模な店が多く、一方で商社や大規模な卸売業者が存在し中間マージンが高いのだそうです。雇用の不安、収入の不安から消費者の「安いもの」指向は際限なく貪欲で、ネットを検索し、少しでも安いところを探してネット通販や大型店舗を彷徨います。価格では敵わない個人店が生き残るには「そこにしかない特色」を持ち、その情報を「SNSなどで周囲に発信する」といった工夫が必要になりますが、多くの店舗ではそんなことをする余力はない様に思えます。

そんなこと当たり前でしょ? 経営努力が足りないからでしょ? 自己責任でしょ? それでどうしたの?     そんな言葉が条件反射の様に人々の口から発せられます。大きく社会が変わっていく気配がします。

ユニット名の由来が「共通の友人がペットショップで働いていた」というペット・ショップ・ボーイズのヒット曲でも聴いて元気を出すことにしましょう。この曲、35年も前(1987年)の曲だったのですね。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。