資格の免許証の更新が幾つかあって、証明写真が必要になりました。大昔は写真館に行って撮影し、少し昔は街中にある証明写真機のブースに入って、カーテンを閉めて、椅子の高さを調整して、パシャリと撮りました。

それで、今はと言えば、スマホで自分の写真を撮って、このデータをネット上のサービスを使って登録し、最終的にはコンビニでプリントされた写真を受け取るということになっているのです。そして、だんだんと写真の「質」が低下していきます。

映っているワタシが著しく劣化し、顔写真の背景が家の中のいい加減な壁紙(少し色もついている)で、しかも光が足りないので薄暗い。更には家で撮影するということもあり、グダグダの部屋着のままで、ヒゲも剃っていない、という出鱈目っぷりです。

もはや顔写真で何かを判断されることもなく、「コイツが本人である」ことさえ分かればよいという潔さです。それに、4枚分で200円というコンビニ証明写真の低料金の前では「カッコいい写真」など、どうでもよくなってしまいます。

こういう出鱈目な写真が大量に送られてくる免許証発行事務局にとって、一体どこまでが受理できる許容範囲なんでしょうね。その基準が気になります。だっこした猫ちゃんの尖った三角の耳の先端が、首の下あたりに映り込んでいたらダメかなぁ。

さて、改めて最近思うことがあります。それは「自由とは選択肢があることだ」です。それでは「選択肢」は何によりヒトにもたらされるのか。それは「xx力」に他なりません。例えば「財力」があれば、お店で欲しいものを選択することができます。高いものや、贅沢なものを買えるということではなく、「そのときに欲しいものが買える」という自由を手にしているのです。

「体力」があれば、これから何をしようか、どこに行こうかと考えたときに多くの候補の中から選ぶことができます。富士山に登るもよし、一日に1,000kmのドライブをすることもできてしまいます。

「能力」(知識、経験、資格など)があれば、自分の人生をどう操縦していこうかと考えたときに、「その先」として、気に入ったものを選ぶことができます。

そして、これらの「xx力」は複数のものを組み合わせることで、更に何倍、何十倍もヒトが選ぶことのできる「選択肢」が広がります。「財力」があって「体力」があって「能力」があったら、世界征服だってできてしまうかも知れません。まぁ、悪いことでの世界征服はダメですけどね。

けれど、その「xx力」がヒトを思いも知らぬところに連れていってしまうこともある様に思います。ちなみに今、私は不動産関連の会社で働いていますが、これは「宅建」とか設備関連の資格を取得していたことも考慮されて、その会社に拾ってもらったことに他ならないのです。自分がこの業界で働くなんて、つい10年前までは夢にも思いませんでしたよ。そもそもこういった資格を取ったのも「何となく」だったし。

ところで、「老人力」なるものがあったとして、何か選択肢が増えることなんてこと、ありますかね。せいぜい電車やバスで席を譲られたり、優先席に座ることに悪感がなかったり、そんなところでしょうか。それ以外はほとんどの場合で、「選択肢を狭める」方向に力が作用してしまいます。誰も「老人力」なんてことを提唱しない訳ですね。

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今日、ネットに転がっていたレシピを見ながら「エビフライ」を作ってみました。殻をむいて、背ワタを抜いて、下味を付けて、薄力粉をまぶして、タマゴに漬けて、パン粉を付着させ、油にダイブさせます。見た目はよくありませんが、美味しいエビフライ(らしきもの)ができました。

ほんの少しだけ、いつも美味しいエビフライを作ってくれるカミさんの苦労が分かりました。大変な手間だったんですね、感謝!

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投稿者
おーちゃんパパ

おーちゃんパパ

2021年3月に35年勤めた会社を早期退職しました。カミさんと世界で一番可愛いメインクーンと暮らしています。