今って、どんどんドミノが倒れている状態の様に思います。ネガティブな話ではなく、誰かが始めた何かが次につながって、更にそれが大きな動きを誘発していく。そもそも文明とか、文化とかいったものは、その連続、堆積で成り立っている訳ですが、それにしてもここしばらくの間の社会や技術の変革には目を見張るばかりです。

以前のエントリでも同じようなことを書いたことがありますが、今の若い人たち(概ねUnder25ぐらい)って、できること、というか生き抜くための「必須科目」がとてつもなく拡大している様に思います。

スマホを使うことによって、個人の思考能力、情報活用能力、表現する能力が格段に向上した訳ですが、この進化の一番根っ子には新しい道具を何も臆せずに「使い始める、使いこなす能力」がある様に思います。具体的には様々なアプリを「使い倒す能力」ということです。例えば動画編集であったり、データ分析であったり、各種のオンライン手続きだったりします。

私たちの世代だったりすると、誰かに教えてもらう、最低でも整備されたマニュアルがあって学ぶ・参照する、なんてことが必要ですが、今の若い人たちって、きっと直観的に何でもできてしまう。それに、アプリ側のインターフェースも随分と洗練されてきたのです。

勿論、私たちが若い人たちと同じように、新しいデジタル技術を使い倒せれば、それに越したことはありません。衰えつつある体力、知力を補うのにデジタル技術の活用は最も有効な好手です。それに実際に働く現場では、お年寄りだって、普通のこととして、これを使っているのです。

農業における作物の生産管理だったり、漁業における魚群の探知だったり、店舗における在庫管理だったり。みんな慣れた手つきで、スマホなどの機器を操作しています。きっと一番遅れているのは、会社から切り離された後の「おじさん」「おばさん」なのです。

でもね、焦ったり、困ったり、ため息をつく必要なんかないんですよ、きっと。社会の最先端、技術の最先端で起きていること、イマ風の言い方をするならば「エッジの効いた」部分なんて、ほんの僅かな間にインターフェイスが整えられて、私たちだって簡単に使える様になる、というか自然と使わざるを得なくなってしまいます。

それに、私たちにも大事な役割があります。それは、若い人たちが作り出したものを、同じプラットフォーム(スマホ)を手にして、「それを活用する、楽しむ、鑑賞する」といったことだと思うのです。観客があってこその自己表現なのですから。

現役の人たちが「よかれ」と思って生み出したものをきっちりと受け止めるという能力を身に付け、維持していく。これが61歳の「能力開発」とおもって、これを面白がっているのです。

最後は「人間力」なんて、とかく年配者はしたり顔で語りますが、その「人間力」だって、きっと昔と今ではかなり違っているのです。まぁ、バージョンアップはハードウェアが適合していないので無理でも、アップデートぐらいはできます。どこかで、サポート停止になったりしますけど。

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