どこに面倒なことが転がっているか分かりません。それが「自分のルール」の中で起きたことならば対処ができたり静かに諦めも付きますが、これが「他人のルール」の中で起きたことだと身動きが付きません。ひたすらに嵐が通り過ぎるのを待つだけ。

「お金のために働く」と割り切って「肩の力を抜いて」再就職後の仕事に出掛けていますが、時折、「事故」をもらってしまいます。社会には一定数「ケンカを売らないと気が済まない人」がいる様で、たまにそんな人に出くわすのです。それが客先にせよ、社内であったにせよ。昨日も結構に痛い思いをしたのです。

職場に迷惑を掛ける訳にも行かないので、ひたすらに相手が大人しくなってくれるのを待ちます。これ、相手に怒りを覚えたり、事故だと腹に負の感情を収めようとする以前に、こうせざるを得ないことには「本当の原因」があることに自分では気付いているのです。

いつだって、どこででも、雇われて働くということは「他人のルール」に従うということに他なりません。長年働いてきた職場においては、いつの間にか「他人のルール」にすっかり馴染んで、それが空気の様に思われ、自由に振る舞うことができます。半ば「自分のルール」という訳です。言うならば「居心地がいい」のです。

けれど、定年退職後、早期退職後に見つけた職場、これからせいぜい数年しか働くことのない場所ではきっと最後まで「他人のルール」で働く時間を過ごすことになる様に思うのです。周囲も自分も、それが暗黙の了解でもあるが如く。「下り坂を降りていく」というのはそういうものなんだなと「事故」に遭うたびに思わされるのです。まぁ、すぐに忘れてしまいますが。

「他人のルール」が支配する時間にあっても、それを少しでも快適に過ごすための「自分のルール、自分だけのルール」を作って、それを少しづつメンテナンスしていく。「もう、やめた!」というのも有ですが、じりじりと匍匐前進を続けるというやり方も有です。したたかに「アウェイ」の試合を引き分けに持ち込む、そんな感じですかね。

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