「人は見たいものを見て、聞きたいものを聞く」というのは本当です。それを強烈に助長しているのがネットでの「レコメンデーション」で、私たちがようつべで見ている「サムネ」の一覧というのは、私たちの思考そのものだったりします。

人は「他人の不幸」と「自分だけのお得」が大好きで、「自分が選択したもの、属しているものが最高」だと信じて止まない生き物なので、ついついそんな動画を見てしまいます。(ワタシだけか?) 「長期間ローンで失敗した人の末期」だとか、「手続きをするだけで年金が100万円増える」とか、「世界が日本に憧れている」とか、そういうものです。

結果、ようつべを開けば、こんな動画のサムネで溢れかえっていて、さらにこれらの動画を視聴することで、どんどんとその純度が高まっていきます。即ち、ようつべが推薦してくるサムネの一覧こそが、その人の思考そのものということになります。他人が見たら「ええっ、アンタ、本当はこんな人だったのね」という訳です。

さらに更に、この偏った見解・見識を強化する様な新たな情報が「視覚・聴覚」から流し込まれ、ギドギドの偏見が頭に満たされていきます。まぁ、所詮、人間なんて偏見の塊みたいなものなので、格別ようつべのせいではありませんが。

とは言っても、人間は「飽きる」生き物なので、或る程度、こういった情報ばかりを浴びているとフツーの人は「もういい」となって、関心が別のことに移っていきます。これが「健全」というものなのでしょう。これを延々と繰り返しているだけ。

それで、私に降りてきたご教訓とは「ようつべは怖い」ではなく、自分は一面的に物事を決めつけガチな性格、性質を持っているので、気を付けないといけないよ、というものだったりします。

自分というちっぽけな頭脳、薄っぺらな知識、大して蓄積されていない経験・記憶で、万事を裁くことは、結局のところ自分を危うくしてしまいます。そして、それを助長したり、正当化する様な意見ばかりに耳目を傾けるのは、実に危険なことなのです。

結果、誰かや何かを憎んだり、呪ったり、更には妙な優越感を抱いたり、そんなツマラナイことに時間を費やすのがモッタイないのです。「へぇ、そんなことを考える人もいるんだね」「そんなことが起きてたんだね」、そう思える余裕があれば、独善に陥らずに大半のことは上手くやり過ごせる様に思えます。

*****
大きめの電卓を買いました。会社用です。今、一日中数字を扱う仕事をしているのですが、とにかく電卓を使う機会が多いのです。今使っているものが「小さめ」で、キーの間隔が狭く、しょっちゅう打ち間違いをしては「エエーっ」ということになるのです。

電卓を買ったのって、一体、何年振りでしょう。なかなか壊れないものだから、これから長い付き合いになりそうです。頼んだぜ!

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。