パイプオルガンの音を聞くと、何やら「始まりの日」のことを考えてしまいます。もう二度とそんなときには戻れないのですが、モノゴトが始まったばかりの頃が思い出されて、とても厳粛な気持ちになります。
そのあと、大体のことは自分の愚かな振る舞いで「台無し」にしてしまったので、本来は反省と悔恨で凹まなければならないハズですが、何故か「始まりの日」のことを考えると、とても幸せな気持ちになります。
今日、パイプオルガンの演奏をネットで聴きながら、最期のときに耳にする音楽を自分で決められるならば、パイプオルガンで演奏されるG線上のアリアを聴きたいなとふと思いました。終わりのときに、「始まりの日」のことを思い出せたら最高じゃないですか。そんな贅沢が叶う訳もなく。
いろいろなことが世界では起きていて、その震源地から遠く離れた小さな街で、息を潜めて暮らしている私の様な人間にも、いずれその余波が何らかの形となって到達することでしょう。津波警報が出された地域の港に、高さ10cmの津波が到達する様に。
こういうことに、徹頭徹尾「ほっといてもらう」なんて生き方はできないものですかね。ポツンと一軒家に住んで、できる限り自給自足をする。一方で、得意の備蓄はソツがなく行い、倉庫には3年間ぐらいは山中で孤立してしまっても生き延びることができるだけのものを常に貯えておく。缶詰とか、乾物とか、愛猫のカリカリとかね。
石油が無くてもお湯を沸かせたり、冬を越したりできる様に薪をせっせと積上げる。太陽光パネルを陽当たりのよいところに設置して、多少なりとも電気を自営する。水は谷川からパイプを何本も繋げて持ってきて、濾過したり、煮沸したりして、何とかする。
しばらくは「生きていく」だけで精一杯で、他のことをする余裕も無いことでしょう。けれど、こんな「ほっといてもらう」暮らしにも慣れてくれば、きっといろいろと感動や、学びがある暮らしができるに違いありません。これ、別にポツンと一軒家じゃなくても、メディアやネットから情報を遮断してしまえば、「ほっといてもらう」暮らしはできるかも知れませんね。
いつか「ほっといてもらう」の達人になって、自分から半径3mぐらいの世界のことだけを考え、とにかくそれに夢中になって生きていく。そんな暮らしも全然「アリ」の様に思います。実現するのは、まだ、もうちょっと先のことですかね。
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昨日に引き続き、今日もまた、一所懸命にいろんなことを片付けました。他人から見たら、どうでもいいことばかりなんですけどね。お陰で、明日(3/2)は晴れ晴れとした気分で、仕事に行けそうです。先ずは月曜日、無事にスタートが切れます様に。