スーパーの果物コーナーに行くと、季節がどんどんと移り変わっていくのがよく分かります。一ヶ月程前は「桃」が売り場の大きな面積を占めていましたが、ここ一週間くらいは王様の地位をすっかり「梨」に奪われた様に見えます。
「桃」も美味しいけれど、「梨」も美味しい。それで、「梨」を買ってきて、冷蔵庫で冷し、皮をむいて、8等分に切って、お皿に盛って、ただ何も考えずにフォークに刺して、シャクシャクと食べる。ただそれだけで、何もかもが救われたり、報われたり、許せたり、そんな気がします。
美味しいものを食べる、それで大抵のことは解決できると最近は思ったりします。明日もまた、「梨」を買って来ることにしましょう。
63年間も生きていると、大量の「記憶」に常に押しつぶされそうになります。私、「記憶力」がよい方なので、いろいろな試験やら何やらではそれが大変に役にたってきたのですが、まさか今になって、そのことが自分を困らせることになるとは思いもしませんでした。
何も見ても、何を聞いても、何を考えても、過去の日のどこかのドアをノックしてしまいます。しかも、大抵の場合は「ひどいことをしてしまった」であり、「こうしてあげればよかった」だったりするのです。楽しかったこと、うれしかったことだって、たくさんあったのでしょうが、そういうドアを叩くことは稀なのです。
そうであっても、もはや私には何もできないことばかりで、たとえ心の中で侘びても、祈っても、それは自分の心の安寧のためにしているだけだったりします。そして、そのことがまた一層、ため息を深くさせるのです。
これは自分の業のなせることなので、解決策、ましてや救済策など何もないのですが、唯一つ「忙しい」状態にあると、頭の中を目の前で起きていることで、他の何ものも入り込めない程にいっぱいにできるのです。これはこれで身勝手な話です。
こういうことって、私だけに限る話ではなく、ニンゲン、誰もが思うことなのでしょう。夏休み、楽ちんで、愉快で、ストレスもなく過ごせて、良いこと尽くしなのですが、楽しければ楽しい程にいろいろな「記憶」が押し寄せてきては、頭の中で暴れ回ってしまいます。
これは、そろそろ「忙しく働け」「誰かや自分のために働け」って、神さまが言っているのかも知れません。「小人閑居して不善をなす」、昔の人はよく分かっていたんですね。悪事とまではいかずとも、小人たるもの「暇がある、余裕がある」というのはよくない、という有り難いことわざです。
夏休みも6日目が終わり、残りは3日となりました。とは言っても「土日」は、夏休みではなくただの週末なので、実質、休みは明日(8/15)だけか… せいぜい「忙しく遊ぶ」ことにいたしましょう。
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3台のPCを2台にし、捨ててしまうM/Cに付けていたBlu-ray Driveや、メモリなどを残りの2台に移植する作業を夏休み中、やっていました。こういうことやっていると、ついでに「あれもこれも」と余計な部品を買っちゃうんですよね。毎日Amazonから、小さな荷物が届きます。便利な世の中で、欲望にキリがない時代になりました。