相変わらず世の中には不寛容の嵐が吹き荒れていて、何だかもうお腹いっぱいです。というか、見も知らぬ他人様のことに「あーだ、こーだ」とよくみんな関心が持てるものです。無関心でいるよりも、不寛容な立場であっても相手に関心を持っているだけ、きちんとこの時代を生きているのかも知れませんけれど。それに「不寛容さによる炎上」というのが、みんなで作り上げる?一つのエンタメのジャンルになっている様にも思います。何でも楽しんじゃうというか…

勿論ながら、自分の心の中にも「不寛容さ」という虎のようなものがうろついています。何でもかんでもに対してキバを向くことはありませんが、時として他人からすれば「そんなこと、どうでもいいじゃん!」といったことを勝手に断じたり、裁いたりしてしまいます。

最近では何かの順番待ちで、私の並んだ列に「手間が掛かる人」がいて遅々として先に進まず、隣の列の順番待ちがどんどんとはけていく様なときに、以前よりもずっと「カッ」としてしまいガチです。言葉には出しませんが「何やってんだよ!」とか、「列から外れて、別のところでやってくれよ」とか、大人気なく考えてしまいます。もしかすると舌打ちぐらいはしているかも知れません。

しょっちゅうあることではないし、大して自分に損害が出る訳ではありませんが、かなりの瞬間風速で「不寛容の虎」が心の中で吠えたり、キバを立てたりします。過去のエントリでも何回も書いていますが、加齢によって脳機能は低下し、 前頭葉の機能が衰えることで感情を抑えることがうまくできなくなるのだそうです。ニュースを見ていても、日本中、中高年が至るところでやらかしています。

そのことを肝に銘じておかないと、別のところで蓄えた?小さな不満や苛立ちの様なものが、感情のスイッチが入ることで、「ここぞ」とばかりに場所を変え、姿を変えて大暴れしてしまいます。人は目の前のことに怒るのではなく、自分の中にある火種に点火をしたくてしょうがない生き物ですからね。

まぁ、私の不寛容は幸いなことにそんなに長時間持続することはないので、例え長く順番を待たされたとしても、自分の番が来た途端にスカッと霧消してしまいます。それだったら、そもそも、そんなにイジイジしなくてもいいのにね。

私の場合、直接に自分の身の回りで起きていないことに関して「不寛容」な思いをすることは余り無い様子で、最近の芸能人や著名人の不倫とか、反社会的行動とかには関心が向きません。

というか、正確にはその人たちをほぼ100%「知らない」のです。名前も知らなければ、顔も知らない、見たことも聞いたこともない。さすがにそんな人たちを不寛容に断じるというのは、キバが大き過ぎます。世間知らずというのも幸せだったりします。

最近は、公園で小さな子供に声を掛けただけで警察に通報されるのだとか。よかれと思ってしたことでも、他人の解釈によっては「許されざること」とされ、非難の対象や加害者になってしまう。社会全体に「不寛容さ」が広がっていくのは、もはや止められないんでしょうかね。そんなことは断じて許さないぞ! なんてね。

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