カミさんも私も、何とか体調が悪い「最低の時期」を脱した様です。ふたりともまだ咳と痰が残っているので、結局土日はゲホゲホいっていたのですが、発熱や頭痛は収まったので、このまま安静にしていれば、しばらくの後には完治となることでしょう。でも、この症状、本当にしぶといんですよね。

ネットで同じ様な症状の人が書いた記事を読んでも、「数週間はくすぶる」らしいので、極力無理を避け、咳や痰が無くなる日を辛抱強く待つしかありません。何か「カッコいい」病名を見つけたくて、いろいろとネットを調べても、「これだ!」と特定できるものが無いので、恐らくは普通に「風邪」なのでしょう。何だかツマンナイ。

さて、人は「起きていること」を理解し、納得するために、説明やら物語が必要なイキモノと思います。理系分野のものはキチンと説明がつく「正解」があるので、それを知りさえすればスッキリとします。勿論、そこに難しい理論やら数式が必要な場合には、大抵の場合、まるっと「それは科学的に説明が付くんだよ」という乱暴な理解でお終いとなります。とにもかくにも「幽霊の正体」が分かればいいんです。

ところが人の心や、社会の動向、政治や経済の活動といったものについては、起きた結果について、好き放題のことをみんなが言って、ワイワイガヤガヤするだけで、そこには絶対的な「正解」となる説明などありはしません。

だから、誰が何を言おうが憤ることなく、「面白い考え方もあるものだな」などと脱力した心持ちで、人の言うことを聞くのが一番平和だったりします。

職場に「これはこういうことだ」と自説をさも正解として話して、それを決して譲らない人がいて、最初の頃は「面倒な人だなぁ」と思っていたのです。それがある時、いつもの様に自説を堂々と話してくれたのですが、それが一応私が詳しい領域のことで、その人の話は内容的に「とんでも」だったのです。完全な間違いなのですが、この人にとってはそういう理解で世界が成立していたのです。

そのときに正してもよかったのですが、「そうか、この人は、いつもこの程度の知識や理解で自説をぶち上げていたのか」と思ったら、何だか少し可哀想になってしまい、「そっとしておいてあげる」ことにしたのです。それで、それ以降、この人が何を言っても、「そういう考えもあるよね」程度で楽しめる様になったのです。

自分が「そうだ」と納得していることと違う説明を他人にされると、何だか面白くなかったりします。けれど、果たして自分が理解・納得している内容だって、果たして正しいかどうかは分からないのです。それで、「正しい」を追い詰めて、不愉快な気分になるくらいなら、「こっちの説明も面白いね」と思えるものに出会ったら、それも即採用!してしまえばいいように思うのです。

けれど、こういう脱力して、何でも面白がって生きることが、老化と共に段々と難しくなっていきます。人は老いるに従って、狷介になり、感情を抑制できなくなっていきます。「穏やかで、物分かりがいいお年寄り」などというものは、この世の中には存在しないのです。

私も人の話を聞いて(不真面目に)面白がっていても、どこかで急に変なスイッチが入ってしまうことがあります。それで、しばらくして凹むのです。「人間はひとりの方がいい」なんて曲が昔ありましたが、それは真実なのかもしれません、特に年寄りは。

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来年はカレンダーを家中、どこにも貼らない!と思っていたのですが、ペットフードのWEBサイトで愛猫のごはんを買ったら、猫ちゃんカレンダーが同梱されてきました。来るものは拒まず、どこか場所を見つけて貼ることにします。

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