昨日(5/19)抜歯をしたのですが、結果、何ら「痛み」も「腫れ」も「出血」もなく、あっけない程に普通の暮らしに戻っています。処方してもらった抗生物質も飲み終わってしまったし、鎮痛剤にいたってはまだ一錠も飲んでいないのです。口腔外科の先生や看護師さんに感謝したり、神さまに感謝したりです。
さて、新しい言葉がいろいろと生まれます。例えば「静かな退職」。会社の中で高い評価をされること、昇進することを求めずに自分の仕事をきちんとこなしたら、定時にさくさくと帰宅する。こんな働き方をする人が結構な比率(60%程度)いるのだそうです。
こういうこと、「いい」「悪い」以前に現役を離れて何年も経つと「何だかよく分からない」のです。もはやそんな境遇にはなく、戻ることもないので、どこの世界の話やらです。そもそも、こういう働き方を「静かな退職」などと言って騒ぎ立てる人たちのことが分りません。
こういう「言葉遊び」で生計を立てている人たちからすると、「静かな退職」だって「いいの見つけた!」程度の話なのでしょうしね。社会の何かを奇妙な言葉で括っては、「ほらこんなことになってますよ」といって世間に問うこと自体が、オジイサンには「よく分からない」のです。「新人類」とか「草食系男子」とか、昔言ってたでしょ。
勿論、こういうことって、いつだって「時代」の中に転がっている「お遊び」程度のものであり、それに乗っかって、ただ楽しんでしまえばいいだけなでしょうけどね。自分で「よく分からない」ものに乗っかるのは、オジイサンにはできないのです。口がモゴモゴしてしまいます。頭が混沌として動作を止めてしまいます。
それで、早期退職後とか、定年退職後なんてことを心配する人たちの論点、コンサーンといったことも、だんだんと「分からなく」なってきているのです。当時はいろいろと心配して、そういったことが書かれている本を読んだり、ようつべで動画をみたりしたんですけどね。今となっては「この人たち、何を心配したり、何を過度に自己肯定してるんだろ」と、共感が湧かなくなってきているのです。
ワタシは私が選んだことを、文句を言ったり、笑ったりしながら、黙々とやり続けるだけ。勿論、「誰かと比べる」「不公平を常に探す」「誰かをキライに思う」なんていうニンゲンの本性からは、一生逃れることはできないので、そんな思いも一緒に連れていくのです。もはや戦友みたいなもんだし。
そんな風に考えることが、今の自分には一番楽に思えます。そうすると、いろいろなことが「だんだんと分からなくなる」。ただ、脳が老化、劣化、萎縮化して、動作不良を起こしているのかもしれないけどね。
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今日(5/20)は、亡き父の誕生日でした。もっと沢山、話を聞きたかった、話をしたかったという後悔ばかりが残っています。本当はただ、横に座って、黙って野球中継を眺めているだけでもよかったのです。今は何かにつけて思い出すたびに、「ありがとう」と心の中でしか言えないけれど。