キッチンの収納に賞味期限が近い食品や、場合によっては経過しているものを見つけるとそわそわしてしまいます。「捨てる」ことが苦手な私にとって、食べるものを捨てるなんて、とても許されることではありません。今日は備蓄してあったカップ麺の賞味期限がおととい切れていたことを発見し、朝食に食しました。ううむ、オジイサンが朝からカップ麺はキツイなぁ。

最近は「いったい、幾つまで働かなきゃいけないんだよ」といった悲鳴やら、怒声がいろんなメディアで飛び交っています。これ、当たり前ですけれど、この国の人が長生きをする様になったから、その生を支えるために働き続けなければいけなくなった訳です。

平和で、生命の安全を脅かされることも(滅多に)なく、衛生的で、医療制度も充実し、極めて安価で美味しくて栄養のある食べ物を摂取することができる。こうやって書き並べてみると、これはもはや天国です。安全で、健康的なので、当たり前に寿命は延び、みんな長生きになります。

厚生省さんのデータを眺めてみると、今から35年前の1990年の平均寿命は男性:75.92歳、女性:81.90歳だったのだそうです。それが、2019年には男性:81.41歳、女性:87.45歳となり、これから15年後(2040年)には男性:83.27歳、女性:89.63歳になると予測されています。

2040年には、1990年よりも男性だと8年も長生きをしてしまいます。何だかんだと毎年250万円程度の出費が必要とするならば、250×8=2,000万円分のお金を新たにどこからか工面してこなければなりません。庭を掘っても石油は出ないので、働くか、何か不労所得を得なければなりません。

大抵の人は毎年250万円の不労所得を得ることなどできませんので、長生き分の追加コストを自分で働いて稼がなければなりません。整理すると、みんな長生きする様になり、現役後も延々と続く「長い生」を支えるために、「年金+預貯金」では不足してしまうことから、不足を補うべく働かなければならない訳です。

今後、このことは改善/解決されることはなく、それどころか寿命が延びれば延びる程に、人は「いつまでも働かざるを得ない」のです。まぁ、十分な額の貯えがあれば別ですけれど。そのことは「自己責任」なのかも知れませんが、運がいいとか悪いとか、そういうものを人は背負ってしまいますからね…

現在私は63歳なので、2040年は78歳。平均寿命よりもまだ5歳も若かったりします。いろんな試練や困難が待ち受けているのでしょうが、きっと生き抜いていることでしょう。知らんけど。

こう考えると、この「当たり前」はとてもおかしな図式になっていることに気付きます。「長生き」が与件となっているがために、多くの人が「もう働きたくない、もう働けない、もう動けない」なんて思いをしながら、長生きコストを得るために働かざるを得ないのです。これでは何のために「長生き」しているのやら。

けれど、「それじゃ、早々にあの世に行きますか」という訳にも行きませんから、これから先、否、現在でも多くの人が70歳まで、75歳まで、80歳まで働くのです。「生きがい」「健康のため」「社会との接点」なんてことを思える人もいるでしょうが、大半は「辛い」と感じている様に思うのです。63歳の私ですら、ときに「働くのは辛いなぁ」と変な笑いを漏らしてしまうのですから。

改善も解決もありませんが、こんなことを考えてみました。そう、あまりに「当たり前」のことを。

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あれれ、もう少しこの時期は「暑かった」ハズなんですけれど、今年の夏はスロースターターの様子です。長袖のシャツの上に薄手のパーカーを被って朝は出勤をしているのです。半袖のポロシャツはまだ出番がありません。

何年か前に雨ばかり降って、少しも晴れた日が無かった夏があったことを思い出しました。ヒーヒー言って、大汗をかいても、夏は暑い方がいいなぁ。

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投稿者
おーちゃんパパ

おーちゃんパパ

2021年3月に35年勤めた会社を早期退職しました。カミさんと世界で一番可愛いメインクーンと暮らしています。