ここまで61年間の人生の大半を、東京都下の同じ街で過ごしてきました。恐らくこれからも。それで、この街の駅前に最近ブームの「町中華」があるのですが、ここ、とにかく昔からあって、私が物心ついたときには既に存在していたのです。
ずっとお店が継続していることが証明する様に、料理はとても美味しくて、しかも料金はリーズナブル。どこかで聞いたフレーズですが「お値段以上」、きっと、何事に関しても、これこそが成功の秘訣なんでしょうね。「お値段以上」というのは「驚き」で、みんな「驚き」が大好きですから。
さてさて、そんなこと当たり前ですが、何をするにしても、先ずは「自分がよい状態であること」がスタート地点なんでしょうね。ここを間違ってしまうと、判断を誤る→選択を誤る→やること、得たものに納得できない→何とかしようと奮戦する→更に深みにハマる→すっかりつまらなくなってしまう、こんな下降のスパイラルに突入してしまいます。
勿論、よい状態にあって下した判断や選択でも「間違えましたぁ!」ということはあるし、逆に切羽詰まって最悪の状態で下した決定であっても、偶然の風が吹いて、素晴らしい結果をもたらすこともあります。
けれど、「一度決めたことだから」と頑張ってしまうのであれば、せっかくですから、「冴えた頭で考えたこと」に従いたい訳です。納得して取り組めますからね。
私の場合、「よい状態」で判断や選択をしないと、得てして「こざかしい利益」を優先した決定に飛び付いてしまいがちです。これは子供の頃からずっと。例えば仕事の場合だと、「楽ができるから」とか「安定しているから」とか「収入がよいから」とか、そんなものに目がいってしまい、「何をしたい」「何ができる」とかいった最も大事な部分を後回しにしてしまいます。
こういう「こざかしい利益」を優先した結果、自分に困ったことが降りかかるのを私は「罰ゲーム」と呼んでいます。そう、罰ゲームだから粛々と受け止めて、これを終わらせる。因果応報という訳です。
それで、やっとの思いで罰ゲームが終わると「次はこんなことにならない様に」と思うものの、また、「こざかしい利益」に目がくらみ同じことを繰り返してしまいます。思えば、いつも「判断する」「選択する」というときは「切羽詰まっていた」んですよね。
しばらくの無職、しばらくの「お休み」の間、何も大したことはできないけれど、段々に自分を「よい状態」にしていきたいな、と漠然と思っています。それで、仕事だけでなく、これからのことすべてに、後々も自分で納得できる判断や選択をする。もしかすると、自分にとっての「最優先」って、意外なものだったりするのかも知れません。
昨夜も美味しい「町中華」にカミさんと夕飯を食べに行きました。私が選択したのは、チャーハンとシュウマイと青島ビール。私の状態はともかく、納得のおいしさでした。ちなみに選ぶ際に少し迷ったのが「麻婆ラーメン」、次はこれだな。