以前のエントリで、中高年の生き方は『終わりよければすべてよし』といったことを自分で書いておいて、少し「引っ掛かって」しまったのです。まるで、喉に刺さった魚の小骨や、ケンタのチキンの骨の様に。まぁ、水を飲んだり、ごはんを飲み込めば解消するのですが。

中高年の『終わり方』というのは死ぬことを言っているのではありません。私的には「65歳」という公的年金の支給開始のタイミングを「一つの区切りとして」どのような心持ちで迎えるか、つまり「中高年期の締めくくり」をオマエはどうするつもりか? が改めて気になったのです。

さて、人間は自らの「英雄としての死」や「荘厳な死」を予期することで、はじめて「きちんと生きる」ことができるのだと私は思っています。何か自分の使命の様なものを自覚し、それを成し遂げるためには命を失ってしまうかも知れない。そんな状況においてのみ、人間は「きちんと生を全うする」ことができるということです。

大学生の頃でしょうか、松田優作さんが出ていた「家族ゲーム」という映画で確かそんなセリフを聞き、深く共感した訳です。(あやふやな記憶) 自分の弛緩しきった生き方については一切顧みることなしに純粋に感動したのです。

どうやら私には宿命としての「英雄としての死」も「荘厳な死」も用意されてはおらず、ヨレヨレになって、薬漬けになって、ベッドに縛りつけられて死んでいく確率が相当に高い訳です。
だとすれば、せめて、「もう十分に生きさせてもらったよ、ありがとう」の死 ぐらいは自分で用意をしたいのです。それに向けて、お迎えの日が来るまで、あれやこれやと忙しなく動き続けたいのです。
そうでなければ、社会が自分をちやほやしてくれた頃、いわゆる「現役」だった頃の「楽しさ」が人生のピークで、残りは余生となってしまいます。それでは『終わりよければすべてよし』には程遠い人生の様に思えているのです。目標とする90歳まで生きるとして、まだ、30年以上も時間があり、「あの頃は、ハッ」などと歌い続ける訳にもいかないのです。

そこで、私が区切りと考える65歳までに、『中高年の「終わり方」』として、幾つかやり終えておきたいこと(その後の自分にプレゼントすること)を改めて整理して書き出すことにしました。
きちんと成就させ、それを自信として、それを拠り所として、それを吹けば飛ぶような将棋の駒ではなく、プライドとして、いつ、「もう十分に生きさせてもらったよ、ありがとう」の死 が訪れても納得できる様にしたい訳です。ひゅーひゅー、何だか、カッコいいでしょ。

何故、中高年の間(65歳まで)にやらなきゃ駄目なの? 生涯現役とか言うでしょ? 「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」ってウルマンって人も言ってるでしょ? それとも早々に死んじゃいそうなの? 馬鹿なの? とかとか、突っ込みどころは4tトラック満載ですが、理由は、ご想像どおり、「気力(気分)と体力」の問題なのです。

まず、年金なんぞを貰い始めたら、何だか一気に「どうでもよくなってしまった」自分が水晶玉の中に見えるのです。そして、そうなったら、何かやり残したことが出てきても、本当の本当に手遅れに思うのです。「そうだねぇ…」などと言って飲み込んでしまうだけです。

そして、体力です。気力を生むのも、気分をアゲルことができるのも、体力あってのことです。おそらく、多少の無理がきくのは65歳までが限界だと思っているのです。それから先は年寄のコールドウォーターの様にも思われ、私的には「辛い」「イタイ」のです。

ようやく、とてつもなく長かったイントロを終えます。

中高年の「終わり」までにしたいこと♪
①旗を立てておく
起業をしたい訳でも、それで収入を得たい訳でもないのです。堂々たる無職ではあっても「昔はXXXという会社で課長をやっていました」ではなく、「私はこういうものです」と年齢の縛りのない身分(旗)で年老いてからも自分を語りたいのです。しかも、一応、人に雇われずとも「自立」しているもので。例えば、行政書士とか、司法書士とか、社会保険労務士とか。所詮、ご挨拶のネタ程度にしか役に立たないのですが。

以前のエントリで「行政書士」の試験をうけるつもりなどと書いたのには、実はこんな野望があったのです。どうせ仕事の依頼など来る訳もなく、受ける気もないのですが、「自称XX」(コンサルタントとか)ではなく、やはり日本国のお墨付きがあるとウレシイのです。
ヤバいよ、こんなところで宣言しちゃったよ、もともと頭悪いのに… 自分が「やればできる子」と根拠もなく信じることにします。

②庭を人並みにする
「草むしり」と「木の剪定」の合間に野菜を少し作っているという現状から脱却をしたいのです。庭にイスとパラソルでも出して、美しく整えられた花木や野菜を愛でながら、だらだらと本を読んだりするという幸せな時間を「体力のある間」に準備しておきたいのです。今だとブッシュに潜む老いた原住民発見!って感じですからね。

③人前で何か1曲をピアノで完璧に弾けるようにする
ピアノやらギターやらこれまでも「弾き散らかして」きたのですが、人様の前できっちり1曲をご披露するということができないのです。
NHK-BSとかでやっている「街角ピアノ」「駅ピアノ」といった番組で、みんなピアノの腕前はともかくとして、演奏することで自分を表現するのを見て、憧れているのです。特に外国人は本当に楽しそうに弾いていて、あれが羨ましいのです。たった1曲でよいのです。響きがよくて、みんなが知っている曲を弾きたいのです。そして、「あの爺さん、楽しそうだなぁ」と思ってもらえたら満足なのです。
中高年の卒業までに何とかモノにして、街角ピアノがあればイスに座り、いつもニコニコとその1曲をご披露させていただきたいのです。もしかしたら、これが一番難しい完遂目標かも知れません。

ちなみにこの作業(中高年の終わり方を考える=その後の自分に贈るプレゼントを考える)、結構楽しいですよ。自分の内なる欲望みたいなものが突如深海から浮き上がって来ますし、何よりも、それが人生最後の目標設定になるかも知れないのです。

有言実行、上等!とします。そうでもしないと、どうせ何もやらないのです。それに、だらだらと目標管理などをしていたら、会社でやってることと同じですしね。

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