ここ数日、PCのモニターの文字、印刷された紙の文字、ありとあらゆる文字が霞んで見える様になりました。これは相当にヤバイのではとググってみたところ、「眼が疲れているので休めろ」とのこと。確かに、もう何年も、何十年も睡眠不足だったり、一日中モニターを見ながらの仕事だったりと、眼に十分な休息を与えていないのは確かです。

PCもスマホもテレビも本もないところで、しばらくボーっとしていたら改善するのでしょうか。その前にそういう状況に耐えられなくなりそうですけれど。

以前のエントリで「自己啓発本」の類を読むことをやめたと書きました。これは相変わらずに継続していて、きっと、これからも読むことは無いでしょう。理由は何を読んでも自分は変わらないし、イヤだと思っている部分も直らないからです。病気みたいなものだから「治らない」が正しいか。

そうすると、そういうものに、これからも一生付き合っていかねばなりません。自分のイヤなところ、たくさんあって、本当に困ってしまいます。困るのは周囲の人ダヨ。

例えば、ちょっとしたことで他人のことが「苦手」「キライ」になってしまうところ。いろいろなところで、いろいろな解決法、対処法が書かれていますが、そもそも、そういった相手に特別な対応を頭の中で考えることで、ますます深みにハマっていきます。

「無視しろ」とか、キライな部分を「ポジティブ」に読み替えろとか。必要もないことをやっては他人の時間を奪う人のことを、「あの人は周囲のことを考えてくれているな」と考えろと言われてもね…

逆にふとしたことで、そういう人が何でもなくなる、それどころか「好き」になることもあったりします。周囲にスマホにメールが届く度に「受信音」を鳴らす人がいて、しかもその音が私にとって「不快」だったのです。

その人が或る日、いろいろなことを実はキチンと片付けるタイプの人だと分かり、この「受信音」以外はまったく他人に迷惑を掛けることがないことに気付いたのです。「受信音」が私の目を曇らせていたのです。もともと曇っているけれど。そうしたら、その人が苦手でなくなり、不思議なことにスマホの「受信音」が聞こえなくなったのです。おかしなものですね。

それで、近頃はこう思う様にしているのです。「苦手、キライ」な人がいたり、できたりするのは「仕方のない」ことだって。それは冬が寒い様に、節分には豆をまく様に、コーヒーを眠る前に飲むと眠れなくなる様に… そう、世界は「仕方のない」ことで溢れているのですから。

そして、「仕方のない」ことは誰にも変えることはできないのです。更には、自分自身も「治らない」し、何をしても「治せない」し、そもそも「治すつもり」がないのです。だから、「仕方のないことだなぁ」と呑気にそのままにしておくことにしているのです。それに、いつか相手がいなくなったり、自分がいなくなったり、何かその人が「好き」になることが起きるかも知れませんしね。

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愛猫が朝5時に私を起こすことを、ここしばらくは習慣化していて、本当にツラい毎日を過ごしています。決まって正確に「5時」ジャストなのです。家の子はきっと、壁の時計の針を読むことができるのです。だとしたら、お願いだから、あと1時間でいいから寝かせてよ。オジイサン、そのうちに倒れちゃうからさ。

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