今日(11/28)のエントリは、「骨粗しょう症」のことではなくて、高齢者は気持ち、心が折れやすいということを書いてみたいと思います。確かに、ちょっと無理して運動したりすると骨の方も折ってしまいそうですけどね。

これまでも何度か書いたことがあるのですが、巷に高齢者向けの仕事(警備、介護、清掃、マンション管理などの現場系が大半)が、常に大量に存在している理由は、そもそもの求められる労働者の数が多いからではないなく、なり手がいないからに他なりません。

というか正確には「定着しないから」「すぐに辞めてしまうから」の様に思います。単純に言うならば、その理由は「キツい」からです。魚は魚で水の中にいるものですし、鳥は鳥で空を飛ぶものなのです。今日から地面を歩けと言われても、それは無理というものです。

更にはこの現実が織り込まれた「巨大な労働力供給モデル」がぐるぐると回転している不気味さがあります。「簡単」「キレイ」「誰でもできる」なんてコピーで高齢者を集めては、そんな天国の様な仕事がある訳もなく、短期間で多くが離職してしまいます。

雇用する側としては、それが恒常化してしまっているが故に、もはや、それに気を病むことはなく、「はい、次」とばかりに一年中求人を繰り返します。とにかく、現場に人がいない状態にならない様にする、頭数がそろっていればよい様にするのが大事。

それが更に悪循環を加速させ、「現場」は置き去りにされたままになり、ますます人心が荒廃していってしまう様に思います。代わりは幾らでもいるのです。長続きしないけど。キツい現場ほど「人間関係がヤバイ」というのは、もはや常識化しています。

極論、暴論かも知れませんが、「高齢者の仕事」というのは得てして、こういう「キビシイ」状況のものだったりします。何か高度に専門化された技術や知識を持っていれば別かも知れませんが。

そんな状態のところに、これまでいろいろと文句を言いながらも「居心地のよい」場所にいたサラリーマンが乗り込んでいっても、普通は「折れてしまう」のが当たり前と思います。高齢者が「折れやすい」のではなくて、それだけいろいろな「圧」が強いんでしょうね。

それでもニコニコと仕事を続けられるのは、数日前のエントリで書いた「働くこと自体が目的なんだよ」という人たちということになります。それにしたって、偶然、職場の人間関係が良好であった場合のみです。「よい人間関係の職場」を捜し歩くのは、高齢者にとって何よりも大事なことに思います。きっと、仕事の内容以上にね。みんな、がんばりましょ!

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職場のコーヒーマシンが結構に調子が悪いときがあって、コーヒーが抽出されずに白湯だけが紙コップに注がれることがあります。フリードリンクということもあり、誰かに文句を言ったりするのも面倒なので、そのまま白湯を飲んでしまうことも度々です。意外と白湯って美味しいことが分かりました。

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