6/10、東京もいよいよ梅雨入りしました。とは言っても、来週は猛暑になるのだとか。寒くなったり、暑くなったり、じめじめとした気候で体力と気力をそがれたり、夏バテをする前に早くもヘトヘトです。それに6月は祝日だって、ただの一日もないという厳しい月なのです。
無理くりにでも、どこかで有給を取って、べたーっと休みたいなぁ。思いっきり朝寝坊して、美味しいもの食べて、昼寝して、美味しいものを食べて、早めに寝ちゃう。こんな日をひたすらに夢見てしまいます。幸が薄いなぁ。
今、名作とされる日本のミステリ小説を読んでいるのです。1987年に出された本なので、今から38年も前ということになります。こんなことを言うのは「野暮」なのでしょうが、どうにも今読むと釈然としないことだらけなのです。
先ずは「被害者」は実は別人で…みたいなものが謎解きの中核にあるのですが、今の様にDNA鑑定が当たり前の世界からすれば「そんなハズはないだろ!」などと思ってしまうのです。それから、「孤島に取り残されて助けも呼べない」といった状況で物語が進みますが、「携帯を使えよ」とかイライラしてしまうのです。昔を舞台とした話とするのでなければ、こんな状況を「今のお話し」として書くのはもはや不可能です。
とにかく、主にIT関連のテクノロジの進化と大衆化によって、「それ以前」と「それ以降」で世界はガラっと変わってしまいました。特に、インターネットでの「検索」以前と以降で、大きく世の中の有り様が変わったと私は思っているのです。中には「とは言っても、ニンゲンの本質までは変わらないよ」なんて言う人もいるでしょうが、私はそれすら「本当?」と疑っているのです。
何につけ、ある事柄の発生を契機として、がらりと自分を取り巻く世界が変わってしまうということは「当たり前」だったりします。結婚、子供ができた、家を作った、転職/退職した、大きな出会いや別れがあった…振り返ってみると「それ以前」と「それ以降」を、私たちは何度となく繰り返しているのです。
63歳で、老後の仕事を何とか続けている私にとって、次の「それ以前」と「それ以降」は、一切合切の仕事をやめてしまったときが「境」だと思っているのです。それは楽しみでもあり、怖くもあったりします。
それはそんなに遠くない「ある晴れた日」に起こることなのでしょう。花束をもらって、「お疲れさまでした」などと労いの言葉や拍手と共に職場を去るのか、それともバイト先のどこかで「今日まででしたね、それじゃ」などとあっさりと終わってしまうのか。
いずれにせよ「そんな日」があって、「それ以前」が終わり、「それ以降」が始まるのです。そして、私以外は何一つ変わることなく、滔々と時が流れていくだけです。おっと、毎日、こんなオジイサンがずっと家にいる様になって、カミさんも愛猫も「それ以降」に困ってしまうかも知れませんが。
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何だかずっと「空咳」をしています。特に他の症状は無いんですけどね。電車の中で「コホコホ」とすると、近くの人が急にマスクをしたりします。ちょっとイヤな気分がしますが、悪いの私の方なので、こちらもおもむろにマスクを付けたりします。非寛容な時代だなぁ。(悪いのはこっち)