最近はネット上のサービスを利用しようとすると、必ずと言っていいほどに「スマホ認証」が求められます。安全性の面からは大歓迎である一方で、スマホが近くにない、故障しているなんてときには困ってしまいます。一応、代替手段が用意されている様子ですが、こういうケースに備えて予め準備をしておくなんてことは到底できる訳もなく。ノースマホ、ノーライフだなぁ。

さて、ヒトの考え方は何十年経っても変わらない部分もあれば、常に変わり続けているものもあります。ヒトというのは矛盾を内側に抱えている生き物ですね。混沌が心の中に渦巻いています。近頃のワタシは余り先のこと、遠い未来のことを考えない様になりました。

65歳になって年金を受給し始めたらどんな生き方をしようとか、いつまで働くのかとか、少し前までは「備え」をそれなりにしていたんですけどね。何だか、そういったことに思いを巡らすことに疲れてしまったのかも知れません。

今の仕事内容や、仕事に必要な技術といったものは、何年も前から備えてきたもの(資格とか知識とか)があったからこそ、手に入れることができたものなので、「備え」をすること自体はとても大切であることは身に沁みて分かっているのです。

けれど、64歳のオジイサンにもなると、これから先は、これまで積み上げてきたものを抱えて、「出たとこ勝負」でいいじゃないかと思っているのです。何も自暴自棄になったり、好き放題暴れたいとか、そういうことではありません。幸せな毎日を、上機嫌に積み重ねていけば、一番新しい日のワタシが「最良のワタシ」に違いないと思うのです。

初めて猫ちゃんを家族に迎えると「ごはんはどうあげればいいんだろう」とか「夜、寒くなったらどうしよう」とか、いろいろと心配をしますが、結局は「大事なことは、全部猫ちゃんが教えてくれるから大丈夫」なのです。これと同じで「どうやって老いていけばいいだろう」などと心配し、備えをする必要はきっとないのです。

そのときに為さねばならぬこと、考えねばならぬことは、「必要なとき」がくれば、誰に教わらずとも「そのときの自分」が何とかしてくれるのです。「”そのときの自分”へのプレゼントとして、今、備えるんじゃないか!」仰せのとおりと思います。けれど、一体、いつの自分のために備え続けるのか、きっと、どれだけ備えても十分ではなく、その中に、道半ばで千の風になってしまうかも知れません。「故人は常に備えていたヒトでした…」なんて言われてもね。

要は「怠け者でも、幸せならいいじゃんよ」と言っているだけなんですけどね。それに、こんなことを呑気に書いていても、いざ、仕事となるとそうは行きません。来年の3月から始めなければならない「仕組み/仕掛けの大掛かりな変更」が迫ってきているのです。とても「出たとこ勝負」なんて、言っていられません。明日から、また「備え」に次ぐ「備え」です。まぁ、こういう「ネコまっしぐら」みたいな仕事はキライじゃありませんけれど。 よい、3連休でありました。

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左手の親指と人差し指だけが、荒れてしまい、激しく痛みます。ネットで調べたら、水仕事をしない、保湿に努めるといった対策が有効らしいことが分りました。しばらくはクリームを塗って、指サックをして様子をみたいと思います。ワタシ、「ゆでたまご」の殻を剥くのに左手を使うヒトなので、しばらくは「ゆでたまご」はお休みします。

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