少し前に、近所に新しくできた家の価格が驚異の1億2000万円!であることを書きました。それで、まだ、売れていない様子なのです。適正な価格が幾らなのかは見当がつきませんが、それでも随分と高過ぎの様に思えます。
数年前に、やはり近所に同程度の広さの新築の家ができて、売りに出されたときは確か6,500万円程度だった様に記憶しているので、僅か数年の間に2倍近くまで価格が高騰したことになります。もしかしたら、1億2000万円の家には、私が想像もつかない画期的な設備が備わっているのかも知れません。2階建ての様に見えて、地下に3階分隠れているとか、有名な絵画が掛かっているとか… 気になります。
私の住む街には大きなケータイショップが2件あるのですが、その前を通っても、最近は販促ティッシュ配りのお兄さんからスルーされてしまうのです。これはひがみでも、被害者意識ではなく、明らかに私は彼らの「ターゲット」とは映っていない様子なのです。強いて言えば、「私の存在は見えていない」と思われるのです。
60過ぎたオジイサンで、パリッとした恰好もしておらず、スマホを買い替えそうもない雰囲気が周囲に漂っているのですから、彼らのレーダーでは私は探知できない存在ということになります。正解です。私にティッシュを進呈しても、それは販促費のムダということになります。
こんなことで気分を害することもなく、続いてコンビニに入れば、大学生ぐらいの店員さんばかりで、他のお客さんには確認をする様な「ポイントカードは?」とか「アプリありますか?」なんて確認も、オジイサンはスルーされてしまうのです。
まぁ、今どきスマホ決済でもなく、プラスチックカードのSUICAを差し出す様な情弱には、余計なことを確認するまでもありません。ポイントカードとか、アプリとか、あれ、自分から積極的に差し出すのって、何だか気まずいんですよね。だから、結構にコンビニで買い物をするのにポイントがなかなか貯まらなかったりします。仕方ないじゃん、「持ってる?」とか聞かれないんだから。
いつの世も世界は「若い人たち」が動かしていくものですから、こういう扱いをオジイサンが受けるのは致し方ないことなのでしょう。自分だって若い頃は見知らぬオジイサンによくしてあげようなんて、微塵も思いませんでしたからね。
もたもたして、新しい世界のルールを理解しておらず、見た目もポンコツであっても、ワタシは生きているし、これからも「しばらくの間」は生き続けることでしょう。さて、どう自分を納得させて、自分を変えて、快適に過ごしていきましょうか。
先ずは「若い人によくしてもらうと思わない」ところからスタートしますかね。
*****
今年も図書館で沢山の本やCDを借りました。有難いことです。それにしても、昔の本って活字がすごく小さいんですよね。たまに古い本を借りたりすると、ページを開けた瞬間に「ムリ」となってしまいます。昔はどうやって、あんなに小さな活字で印刷された本を読んでいたんでしょうね。