用事があって、会社の昼休みに郵便局に行きました。現金書留でお金を送る必要があったのです。それで、窓口で現金書留の封筒を買ったのですが、いつの間にか現金書留の封筒が変化していて驚きました。私が知っていたのは、背面の封をするところを互い違いに重ねて、何か印紙の様なもので貼り付けるというものだったのですが、これが普通の封筒(色が黒い)に変わっていたのです。
調べてみると、私の記憶にあったのは大昔(昭和)の時代のもので、それから印紙の様なもの(封かん紙)が無くなった時代があって、今の色黒ののぺっとした封筒になったものは2021年からなのだそうです。封かん紙が無くなった頃に、何度か現金書留を使っていたハズなんだけどな… どうも子供の頃に生家にあったものの記憶が強すぎた様子です。
それにしても、今の時代、カード決済でもコンビニ払いでもなく、「現金を送れ」というやり方を続けているところって、或る意味、希少価値があって、大事にしないといけないのかも知れません、不便だけどね。
傍目には不幸なオジイサンの様に見えても、今が一番幸せに思うことがあります。理由とか、幸せに思える要素(つぶつぶ)とか、そういうものを挙げることは難しいのですが、とにかく「何となく今が一番幸せ」と思うのです。
幸いなことに健康上の不安はなく、家族も経過観察中ではあっても今のところは無事で、大した贅沢はできなくとも身の回りのものは十分に「足りて」いる。争いごとや、借金といった困りごともなく、何ら生活上の脅威もない。
「自分」をがんじがらめにしていた様々な欲も、今はほとんどが剥がれ落ちてしまい、果たしてアレは何だったのかと不思議に思ったりします。マズローさんの要求段階説(5段階)を下敷きに考えるならば、上から3つまでは、スカっと忘れてしまいました。自己実現の欲求 、承認の欲求、社会的欲求 / 所属と愛の欲求まで。
とは言っても「庭をキレイに整えたい」なんて思いは自己実現の要求なのかも知れませんが、肝心の庭は完全なバックヤードで、私と家族以外誰一人目にすることはなかったりします。それに「庭いじり」はただ一人で黙々とやるのが醍醐味なので、仲間や同士が欲しい訳でもありません。改めて考えると、「庭いじり」は単なる暇つぶしなんでしょうね。
あるのは下二つで、安全の欲求と生理的欲求。要は、無事に暮らして、健康で食べたいものを食べるということに、どんどんと欲が集約されてきた様に思います。そんな生き方が果たして「ニンゲンとしてどうか」と尋ねられると、いささか恥じるところもあったりしますが、高級な欲求が湧いて来ないのですから、仕方がありません。
とにかく「健康であってこその楽しい老後」なんでしょう。これから先もずっと「何となく今が一番幸せ」なんて言い続けていられたらいいのにね。
******
今日もそろそろ閉店ガラガラです。明日は少し早起きをしないといけないのです。寒くなってきて、だんだんと朝、布団から出るのが辛くなってきました。今から明日の朝が憂鬱です。