今は一年中「焼き芋」が、スーパーの保温ケースで売っている様になりました。大体1本200円ぐらい。昔に比べて、おイモ自体が格段に甘くて美味しくなっているので、焼き芋もまた、どれも外れなくおいしかったりします。

今はそんなことをしていると誰かに消防署に通報されてしまいますが、昔はどこの家も焚火をして、落葉や伐採した木の枝を庭の隅で燃やしたりしていたのです。私が住んでいた(今も同じところに住んでいる)ところは、東京といってものんびりした郊外でしたからね。

そうすると、俄然どこの家の子供達はうれしくなって、お母さんに頼んでサツマイモ、ジャガイモを分けてもらい、これをアルミホイルに包んで焚火の中に投じて、「焼き芋」作りに興じていたのです。結果としては、大体がきちんと中まで火が通らずに生焼けで、「うわぁー」とか言いながら捨てることになってしまったのです。今でも「焼き芋」を食べる度に、そんなことを思い出します。

さて、人は「自分はいつまでも生きている」様に思いながら毎日を過ごしています。そして、私はそれでいいのだと思っているのです。終活などといって、「千の風になること」を前提にして、あれこれと動き回るのが好きな人もいると思いますが、どうせこの世からいなくなってしまった後のことは、残った人たちが好きな様にやるのでしょうから、あまり用意周到に何かを整えておいても、きっとそのとおりにはならないのです。それに、結果を知ることもできないしね。

勿論、残された人たちに迷惑を掛けてしまいそうなことや、何か残してあげられるものがあれば、それは整理する、明らかにするといったことが必要ですけどね。借金がありますとか、密かに株を所有していましたとか、金の延べ棒を3本持っていると言ったのはウソだよんとか、そういうことです。

実際に今の私はいつか「そんな日」が来ることは分かってはいても、いつまでも今と変わらぬ日々が永遠に続くものだと思って、毎日をのほほんと、平和ボケしながら、油断の海で溺れながらも生きているのです。だから、いつ使うか分からないものを時には衝動買いしてしまったり、一生をかけても使い切れない程の靴下を買ってしまったり、あと何回も聴く機会などないのにCDを買ってしまったりします。

でも、それでいいよね!と、今はすっかり開き直っているのです。深刻ぶってみても、ヘラヘラしていても、「その日」がいつなのかは神さまだけが知っているのですから。それに千の風になるのがゴールで生きている訳じゃないしね。

「その日」がやってきて、私が千の風になった後に、Amazonから私宛の段ボールが届く。親族が「何じゃこりゃ?」などと言って開梱すると、新しいパンツ×3枚組が箱から出てくる。こういうことです、私が言っているのは。

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昨日(11/15)、故障した冷蔵庫の修理にメーカーのサービスマンが来てくれました。「買ったときに販売店さんと、長期保証契約を結んでいますか?」ときかれたので、そういえば…と思い出し、販売店さんにその場で電話をしてみたのです。

それで、判明したことが、「長期保証(5年)の契約期間が今年の4月までだったので、もはや保証は効きません」ということだったのです。とほほほ… こんなことなら、確認しなければよかったよ。

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