週末は二日とも冷たい雨が降って、何もできませんでした、否、何もしませんでした。外でやりたいことは、すべて来週の3連休まで持ち越すことにしました。
それで、午前中はじっくりとMLBのワールドシリーズを観たのですが、ドジャース:山本投手、あまりにも素晴らしいピッチングで、本当に感動しました。何だか、大変な「喜び」の感情をもらうことができ、今日一日をウキウキと過ごすことができました。感動することの力、というのはスゴイものですね。
さて、ホームベーカリーで上手くパンが焼けただけでなく、「かき揚げ天ぷら」も上手く作ることができました。今回はいずれも「ビギナーズラック」なんでしょうから、これから時折は失敗をするに違いありません。けれど、曲がりなりにも「上手くいった記憶」、うれしい気持ちが、きっとこれからも私を調理へと向かわせることでしょう。大袈裟ダヨ。
上手くいって、失敗して、手を打って、上手くいって、また失敗して、また手を打つ。完璧なんてものには決して至らずに、ただただこれを繰り返して、そのうちに人生が終わってしまいます。けれど、この繰り返しって、楽しいんですよね。
というか、こういう「繰り返し」ができるもの、許されるものに接していられるのは、とても幸せなことに思えます。例えば、仕事。私の今の仕事は、この「幸せな繰り返し」をすることができる、させてもらえているので、基本的には満足をしているのです。
どんな仕事でも常に改善の余地はある、というのは確かですが、単純な内容であったり、相手があって、しかも相手の感情をモロにぶつけられる様な仕事だと、前向きになるのは本当に難しかったりします。こういう仕事を黙々とこなす人たちには尊敬しかありません。私には絶対にできないことですから。
長くてもあと数年で仕事を辞めてしまう訳ですが、そうすると私の「幸せな繰り返し」の相手をしてくれるのは、主に庭の植物ということになります。我家の庭は完全な「バックヤード」なので、どんな素晴らしい庭園を仕立てても、誰も褒めてはくれません。カミさん? カミさんは「庭」にまったく興味がない人なので、何も反応は無しなのです。
だから、ただ真っ直ぐに「植物」に向き合って、その成長を確かめ、病気や虫害に気を配って、「その後の人生」の中心に、植物相手の「幸せな繰り返し」を据えて、それを静かに続ける。そんなことを考えただけで、脳内で何かの物質が分泌されそうです。終わりよければすべてよし、そんな気がします。
あと、中途半端に放り出した楽器を相手に「幸せな繰り返し」をするというのもよさそうですが、カミさんや愛猫や、場合によってはご近所さんからもクレームが出ることが容易に予想されるのです。ヘッドホンをつけて電子ピアノやベースを弾くという手もありますが、何だか長続きしそうもありません。防音対策でも部屋にしちゃおうかな。ちゃちゃとググったら、大体200万ぐらいは掛かりそうです。ムリです。財力がありません。
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月曜日から金曜日までがんばれば、また3連休が待っています。そして、早くも11月です。それで、今年は卓上カレンダーを一つだけ手に入れて、それ以外のものはすべて貰ったり、買ったりするのを止めようと思うのです。理由は、壁に貼っても見ることはないから。
新聞も固定電話もやめてしまったし、腕時計もしなくなったし、カレンダーも見なくなったし、いつの間にかいろいろなことをやめてしまいました。