あんなに待ち焦がれていた3連休も今日でお終いです。よいお休みでありました。何もしなかったけれど、面倒なこと、イヤなことが起きなかったので十分です。最近は休みの日に家にいても、不幸が向こうからやってきたりします。何も起きないことがどんなに素晴らしいことか。
今日(10/13)は午後、買物がてらに久し振りに近所を散歩しました。随分と秋めいてきたので、パーカーを着て出掛けたのですが、歩き始めたら意外と暑くて汗がツツーと額や首筋に流れる始末でした。それならパーカーを脱げばいいじゃんよ、ということなんですが、それが出来ない理由がありました。
お察しのとおり、パーカーの下には家の中でしか着れない様なぐだぐだのTシャツ一枚で、とてもその姿を公衆の面前に晒す訳にはいかなかったのです。外に出るときは、温度調整が可能で、かつ人目についても差し支えない服装にすること、大事な教訓をいただきました。
時代も変わりますが、近所の様子もしばらく見ないうちに少しづつ変わっていました。イチョウの木に実ったギンナンが幾つも地上に落下し、地面にベタベタっと転がっていました。そして、独特の匂い。最近は誰もギンナンを拾ったりしないんですね。家に帰ってから、カミさんにそのことを話したら、「絶対に拾って来ないでね」と釘を刺されてしまいました。どこの家でもそうなってるのね。
たくさんの野草の花に目を奪われました。最近は空地、空き家もちらほらと見受けられる様になり、そういったところでは、野草が我が物顔でのびのびと手を伸ばし、花を咲かせていました。ヒルガオの仲間なのでしょうか、金網や他の木の枝につるを延ばしてそこに可憐な花をつけています。
花の形状も、色も、大きさも異なるものが何種類もあり、こんな花、昔はなかったなと思ったのです。園芸用に品種改良されたものが、ニンゲンの支配から抜け出して野草化したのかも知れません。風に運ばれ、鳥に運ばれて、遠くの土地から旅をしてきたのかも知れません。
それから、「赤まんま」。これは我家の庭の隅にも生えていますが、空地で群生している姿は「昔のまんま」です。子供の頃から、秋の風景として強く記憶に残っているのはこの草なのです。
「赤まんま」、もしくは「赤のまんま」と呼ばれるこの野草の本名?は「イヌタデ」。同じタデ科のヤナギタデが辛みがあって「薬味」として利用される一方で、こいつは辛みがなく「使えない子」なのでイヌタデと呼ばれているのだそうです。ワンちゃん、いろいろと役に立っているのにね。
その一方で、赤まんまの花は、日本人の心に強く訴えるところがあって、私もまた、この赤い花が大好きなのです。華やかさもなければ、いい香りもせず、決して主役にはなれない花なんですけどね。どうしても、そこにそっとしておいてあげたい気持ちになってしまいます。
もう20年近く前に富士山の近くに旅行したときに、宿泊したホテルのロビーの売店で、赤まんまが咲いている様子を造形した小さな置物が売られていました。余りに可愛らしかったので買って帰り、今も私の作業部屋の壁に掛けたショーケースの中に飾っているのです。どんなに季節が過ぎてしまっても、そこだけは穏やかな秋の空気が流れている様に思えるのです。
そして、街のあちこちでキンモクセイの花が香り始めていました。どんなに暑い夏であっても、植物たちはやがて来る秋を告げるべく静かに準備をしていたんですね。
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10月も半ばになったし、そろそろ庭のレモンを収穫してみようかな。