朝一で病院に行き、心臓の検査機器:ホルターを外してもらいました。昨日はお風呂にも入れなかったし、一気にせいせいした気分になりました。家に帰ってから、今度は床屋さんに行きました。本当は先週末に行くハズだったのですが、何とお店が臨時休業。それで、今週は「うっとうしい」ままで過ごしていたのです。

いつもの10分/1,000円店です。料金はいつの間にか1,300円になっていますけどね。注文はシンプルで「2mmバリカンで全体を短くして下さい」、それだけ。大体5分くらいで、おしまいです。家にトコトコと戻って、シャワーを浴びました。細かい髪の毛を洗い落とし、2日分の汗とヨゴレを流して、最高にサッパリしました。快適に勝る幸せはありません。

老後というのは「生きている」のが仕事みたいなものだと思ったりします。それまでは「会社」で働くことを勝手に「大層な使命」の様に勘違いして、もしかしたら、その洗脳が解けぬままに何十年も働き続けたのかも知れません。結果、そんな状態じゃなければ、こんなに長い時間を、走ったり、歩いたりすることはできなかったに違いありません。大して遠くまで行けなかったけどね。

それが、ある時に脳内に分泌されていた麻薬が切れてしまったり、60歳/65歳といった年齢の壁が突然に降りてきて、「大層な使命」というのは刹那の夢であったことに気付かされる訳です。そして、そんな自分に残されたものは、ただ「生きていく」ということの様に思うのです。

ただ「生きていく」というのは、とても簡単であり、一方ではとても難しいのかも知れません。経済的な問題は何とかしないといけませんが、それを切り離すことさえできれば、まるで永遠の時間が目の前を川の様に流れ、それを自分がぼーっと眺めている様に思えたりします。モウ、ナニモシナクテモ、イインダヨ。

勿論、「永遠」なんてものはどこにもなく、形あるものである人は、いつかこの世からいなくなってしまいます。まぁ、神さまが決めたそのときまで、営々と「生きていく」ことを続けるだけです。たくさん消費して、きちんと税金を払って、若い人たちの妨げにならない様にする、思えば今のワタシにできるのは、せいぜいこんなことぐらいですが。

涼しくて、静かで、近くに愛猫がごろんと横になっている。ただ「生きていく」というのは、まんざら悪いものじゃありません。それに、自分からそうしない限り、そんなに難しいものじゃないしね。

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部屋で裸足の足の指に、チクりと針で刺した様な痛みがありました。何が起きたのかと見てみると、とても小さなアリが指を噛んでいます。どこかで服に付いたまま、部屋に来てしまった様子です。「外に帰してくれ」と言っている様に思えて、指でつまんで、窓の外に出しました。仲間に会えるといいけどね。

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