ようやく1週間が終わりました。職場で近くの席に座る若めの社員さんは、有給を取得して、今日から4連休にしています。昨日の夕方にお喋りしたときは「今晩(木曜日)から車を出して遊びに行く」とのことでした。少し長い休みがあって、その前夜祭みたいなタイミングで「お楽しみをスタートさせる」って、最高にワクワクしますよね。もうオジイサンだから、私にはそんなことできないけど。普段忙しくしたり、苦労している人だから、スカっとリフレッシュして来て下さいな。
年を取れば取るほどに、何かを決める基準は「今よりも…」という非常になさけないものになっていく様に思います。例えば、60歳で定年退職をした後に、今の会社で働き続ける「雇用延長」を選ぶのか、別の会社に「再就職」をするのか、はたまた「起業/自営」を志すのか、それとも「リタイア」を決め込むのか。
本当は「xxxしたい」という内なる声に従って、身の処し方を決めればよいのでしょうが、安寧にどっぷり浸った暮らししか知らないと、「次」「未来」というのは常に「今よりも」で選択してしまう様に思うのです。オレだよ、オレ。
こうしたい、ああしたいなんて思ったところで、すぐに「それって、今に比べてどうなのか」と考えてしまいます。「今に比べて『楽』なのか」「今に比べて『儲かる』のか」… 結果として、多少「今」に不満があったとしても、「今の方がマシ」という答えに行き着いてしまいがちです。
よく言われる「ゆでガエル」です。きもちよくお湯に浸かっていたカエルが、お湯がどんどん高温になっていくのも気付かずにいて、あるときにお湯が余りに高温になっていて茹で上がってしまうというアレです。おじいさんカエルは「今」が快適であればある程に、どんどんと自分のチカラ、活力を失っていき、いつか、ヨボヨボになって何もすることができなくなってしまいます。
比較や、消去の果てに「今」を選ぶのではなく、例え「今」を継続するにしても「今」こそが最高だと思えるのが大切なのでしょう。まぁ、そんな人なんて、ほんの一握りしかいないのでしょうけれど。
家族と自分が納得、満足して過ごせる様に「暮らし方を変える」準備を始めてはいるものの、つい、そんな未来を「今」と比べてしまったりします。自分というのは業の深いものですね。
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明日(7/19)は期せずしていろいろと、やることが多くなってしまいました。朝一でホームドクターの先生のところに行って血圧の薬をもらって、買物に行って、愛猫を病院に連れていくのです。
ネコちゃん、どこか具合が悪い訳ではないんです。家の子、長毛種なんですけど、体中に毛が絡まった塊りができてしまって、もはや、レゲエのお兄さんたちの「ドレッドヘア」みたいになり掛かっているのです。これを病院でチョキチョキと切ってもらうのです。
これ、原因は、カミさんが救急車で運ばれて入院した際に、私が愛猫にブラシをかけるのをサボっていたことにあるのです。だって、ブラシをかけると「シャーシャー」言って怒るんだもの。